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続・ネクスト・ソサエティ

昨日お届けした「ネクスト・ソサエティ」がなかなか好評だ。念のためにもう一度確認しておくが、この稿はドラッカーが最新書で述べていることとの要約が主である。ドラッカーの意見と、私の意見とを混同されないように願いたい。

今起きている変化を経済だけで捉えようとしてはならない。社会そのものの構造が変化しているのであり、その影響が経済や経営に及んでいるのであるとドラッカーは指摘する。今起きている四大変化とは、

1.少子高齢化
2.知識社会
3.情報革命(IT)
4.市場の変貌

であり、これらの変化に対応した新しい企業形態を「ネクスト・カンパニー」とも名付けている。

1と2については昨日述べた。

「知識は資金よりも容易に移動するがゆえに、いかなる境界もない社会となる。」

この言葉の奥行きは深い。
つい先ほど、香港の筒井社長と名古屋の武沢がメールで交換したアイデアが、瞬時にマニラ在住の商社マンのA氏や、ハンガリーで起業しているB氏に伝わる社会なのである。(事実、それが起きている。)

こうした知識社会とIT革命のかけ算によって起きつつある大変化はグローバル競争時代だ。
自動車や金融といった文字通りグローバルな業界だけの話ではなく、知識の競争はいつでもどこでもグローバルなものとなるのだ。

ドラッカーがとりわけ注目している大変化が「eコマース」であることに着目したい。
情報革命におけるeコマースの位置づけは、産業革命における鉄道に近い。いずれもが産業の基盤だからだ。
鉄道による産業革命の場合、蒸気機関の発明を起点にして半世紀かかっている。情報革命も、1945年頃のコンピュータ発明を起点にするならば、ちょうど半世紀を経過した。
経済も社会も政治も一変させてしまうような威力をもつはずのIT革命は、まだ始まってもいないとドラッカーはみている。

デジタルのインターネット企業の方が、アナログ企業のビジネスよりも儲かるという話はまだ聞かれない。
古くからあるオールドエコノミーの企業がネットを使って利益を出し
ているのが関の山だ。
本当のIT革命は、ネット企業がオールドエコノミーを蹴散らかすほどの利益を上げるはずだとドラッカーはみているのだ。

さて、このような大胆な未来予測はドラッカーならではのものである。彼を彼たらしめているのは、そのクールなまでの現実直視の姿勢だ。事実をありのまま素直に受け入れ、その現象の本質を見抜こうとする。その変化の延長上に未来を置くときには、主観や予断を加えないにつとめる。
そうして描いた未来社会に向かって、いま企業人はなにをすべきかを大胆に提言するという姿勢で一貫しているのがドラッカーの真骨頂だ。

例えば、少子化の進行によってものすごい勢いで高齢化社会がすすむ。その結果、今までとはまるで異なる新しい何かが起きることを見通している。決して少子高齢化を食い止めるための知恵をめぐらすようなことはしない。

事実を集め、それらの現象から事の本質を知ろうとする姿勢が大切だ。その延長に未来を置いたとき、好ましいか否かを問わずその未来を受け入れて今の対策を講じる必要がある。

昨日、二通のメールが届いている。ともに同じような主張がされていた。簡約すれば、「製造業の地位が低下するなどの表現を使った予測は不穏当だ。モノ作りで大国になった日本が、製造という基幹産業を放棄して何ができる。モノを作らなくなった国家に明日はないと信じている。」

実はこうした意見こそが主観なのだ。

未来を予測する際に、完全に客観性を保つことはむずかしいのはわかる。予測そのものが主観的な行為だからだ。だが、その主観は希望が入っていたり、根拠なき予断があってはならないのだ。ドラッカーが述べているのは製造業の地位低下であって、あくまで相対的なものだ。製造業が消えてなくなるなどと言ってはいない。かつての農業と同じように、相対的な地位を低下させるのだ。製造業よりもサービス産業、さらには知識産業に価値がシフトすると述べているのである。

製造業経営者もそうした未来予測を率直に受け入れた中で、なおかつ燦然と輝く我社像を描く必要があると信じる。かたくなにモノ作りだけに固執しようとする姿勢からは、未来のための建設的変化は生まれないのだ。