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研修と修行

●以前どこかで、”考えるな!感じろ”という言葉を聞いた。
誰かに直接そう言われたのか、映画の1シーンだったのか、本で読んだのか思い出せないが、なぜか印象に残っている。
「Think」ではなく「Feel」しろということらしいが、何となく分かる。
それでいてよく分からないような微妙な気持ちでいた。

●ところが最近、マンダラ手帳の松村寧雄先生から『唯識論』を学んだ際、人間の第六識(意識、いしき)の奥に第七識(末那識、まなしき)があり、さらにその奥に第八識(阿頼耶識、あらやしき)があると教えられた。未熟ながら現時点での私の理解はこうだ。

●頭で考えることができる知性や理性というものは第六識の世界。要は顕在意識の世界である。

その奥に潜在意識があるのだが、潜在意識も二つに分かれる。一つが第七識とも末那識(まなしき)ともいわれるもので、我欲の源、悪念邪念の元がここにある。

その奥にある第八識とも阿頼耶識(あらやしき)とも言われるものがある。それは人間存在の根本であり、生まれてから今日にいたるまでのありとあらゆる「種子(しゅうじ)」が保存されているところだ。
見たこと、聞いたこと、読んだもの、経験したこと、思ったこと、感じたこと、触ったこと、食べたこと、すべての情報が「種子」として保存されている。
それはあなた個人の「種子」だけでなく、先祖代々の「種子」も保存されていると言われ、宇宙誕生からの記憶がそこにあると説く人もいる。

●「考えるな!感じろ」とは、第六識や第七識を休ませて第八識に直接放りこんでしまえ、という教えなのかもしれない。

そんなことを考えていたら、先日こんなことがあった。

●ある所で私が、「皆さん、『Wish List』は社長一人がやるだけでなく社員からも集めるのですよ」と申し上げたら、K専務が手を上げた。

「質問があります。武沢さん、もし社員から集まらなかったらどうするのですか?」、「もし社員に拒否されたら?」「もし、社員がネガティブなことばっかり書いてきたらどうするのですか?」と立てつづけに聞いてきた。

●「”もしできなかったらどうする?”ですか」

私としては、もっとも経営者に使ってほしくない質問を受けた気分だが、冷静にこう返答した。
「Kさん、質問の仕方が違いますよ。もっと別の聞き方があると思うのですが」と。

・Wish が集まらなかったらどうするのですか?
・ネガティブな意見ばかりが集まったらどうするのですか?

と聞くのではなく

・どのようにしたらたくさん Wish が集められますか
・なるべくポジティブな Wish を出してもらう秘訣はありますか

と聞く方が建設的ですよ、と申しあげた。

●研修や講座の場で、「できなかったらどうする?」というのは愚の骨頂のような質問である。
新しい知識や技法を学ぶ講座のなかで、「その知識や技法が当社に役立たなかったらどうするのですか?」と聞くことは、受講者としての思考放棄である。
できるようにがんばるしかないし、仮にできなかったとしても大した問題ではない。そのときに考えればよいわけで、今考えることではない。

●先日、メルマガ読者のTさんからこんなメールを頂戴した。

・・・武沢社長 おはようございます!Tです。

「研修」と「修行」の違いとは。

それは、研修は事前説明が可能だけど、修行は事後説明しかできない、ということです。
どういうことかと言うと、研修については「この研修を受けることによって、こんなスキルを身につけられます」という事前説明が可能だけれど、修行は「とにかくやってみることが必要。やってみて初めて何が得られるかが分かる」という、事後説明しかできない、のです。

また、研修には一部「修行」的な要素を含むものもありますが、それがうまくいくのはトップダウンを受け入れることができて、「とにかく、やれー!」と言われて実際にできる文化があるところ、です。
・・・

●なるほど、Tさんありがとう。

私が社長講座で担当している役割は「研修」であり、時には「修行」でもある。
そして、私の講座で学ぶ経営者は、社員に対して「研修」を施すのではなく「修行」的なことを要求せねばならないことが多い。

●だから社員に、「社長、もしうまくいかなかったらどうするのですか?」などと言わせてはならない。

とにかくやってみる。やるという前提に立って、どうしたらうまくやれるのかを懸命に考えてもらうのだ。
「事前に説明できないことはやらせられない」という社風を作ってはならない。
だから、「やれなかったらどうする?」という質問は発するのも受けるのもやめにしよう。

それは政治記者が国会議員から言質を取りたいときに発せられる質問だ。