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瀕死からの脱出

●強化試合で4連敗し、進退問題まで飛び出るほど瀕死だった岡田ジャパン。しかしW杯本番で結束し、監督の自信も周囲の監督支持率もV字回復している。
オランダ戦でも相手監督が驚くほど日本はよく戦った。この勢いで、デンマーク戦はきっちり勝って決勝トーナメント進出を決めてもらいたい。

●優勝候補のオランダ、ブラジル、アルゼンチンが順当に勝ち点を伸ばす中、今大会はヨーロッパの強豪国がもがき苦しんでいる。
フランス、スペイン、イタリア、イングランド、ドイツがよもや予選リーグで敗退しかねない状態にあることなど誰が予想できただろう。

●特にフランスは自力による決勝トーナメント進出がすでになくなった。「チームワークがない」とジダン氏も批判するように、監督に暴言を吐いたといわれる主力選手がチームを追放され帰国した。他の選手がそれに抗議し、練習をボイコットするなどすでにフランスチームは組織の体をなしていない。
連敗を続けていた一ヶ月前の岡田ジャパンでもチームの内部は結束していたはずだ。

●まったく同じことが会社でも起きる。
ピンチになったときに組織がバラバラに崩壊するか、ピンチゆえに結束してそこからV字回復するかという問題だ。それは、リーダーがどの程度チームのベクトルを一つにまとめられるかどうかで決まる。

●今日ご紹介するのは、瀕死の状態にあった会社がV字回復し、その後、最強集団に変わったという実話。

その会社は誰もが知っている有名な会社、東京の「はとバス」である。
従業員数1028名、年間売上高156億円(2009年6月現在)という会社になにが起きていたのか。

●60年以上の歴史をもつ「はとバス」の筆頭株主は東京都。
はとバスの社長は代々、東京都交通局のOBと、はとバスのもうひとつの大株主・JTBのOBが交代で歴任してきた。
株主構成からみても、親方日の丸、大名商売の気風が経営陣にあったとしても不思議ではない。

●昭和の高度成長時代には「はとバス」は東京観光の定番といわれ、絶好調をほこったが、バブル経済崩壊後に業績低迷。観光バス受難の時代をむかえ、同社の長期低迷がはじまった。

●宮端清次氏が社長に就任した1998年10月時点で、4年連続赤字がつづき、当時の年商の半分以上にあたる70億円もの借金があったという。
赤字を埋めるためにまた借り換えする自転車操業がつづき、もし銀行が新規融資をストップすればすぐに倒産しかねない状態だった。

まさしく「瀕死」だったわけだ。

●ここであなたに質問がある。

そんなとき、あなたが「はとバス」のオーナーだったらどのような人に会社再建を託するだろう。
そのプロフィールを紙に書けと言われたら、私ならこう書くだろう。

・30代、40代の若い経営者
・業界を知らない異端児
・できれば容姿が良い人
・発言がユニークでマスコミ受けする
・MBAなどの知識がある
・最新のIT事情などにも精通している
・人的ネットワークが豊富で強い人
・英語を駆使し、ワールドワイドの視野がある人
・・・etc.

●だが「はとバス」の株主が選んだのは私がイメージした人とは真逆の人だった。当時63歳の東京都庁OBというものすごく地味な宮端氏に白羽の矢を立てたのだった。
都庁に勤務していたときから役人らしからぬ発言で”異端児”扱いされていた宮端氏とはいえ、民間企業の経営経験がほとんどない63歳のOB。
本当に再建ができるのか。

当の宮端氏は「えらいことになった」と思いながらも「わかりました」とすぐに引き受けている。
経営書を何冊も読み、自分なりに経営に対する自負心もあって引き受けたそうだが、これが本当に「えらいこと」になっていく。

<明日につづく>