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二種類の努力

●昨夜は数年ぶりにボーリングをした。都内のボーリング場に集合し、皆がぶっつけ本番で勝負したわけだが、なんと私がハイスコアの140点台を出し周囲をビックリさせた。
「マグレだよ」と言っておいたが、実は20代のころ連日のようにボーリング場に通って、時には200点台を出したこともある。

●来日中の温家宝首相の野球パフォーマンスだって決してかっこよくはないが、あのキャッチボールとバッティングは未経験者にできるものではない。調べてみたら案の定、氏は野球経験者だった。

私のボーリングにしろ、温さんの野球にしろ、徹底的に身体で覚えたものは何年たっても筋肉が動き方を覚えているのかもしれない。

●幸田露伴は『努力論』の中で、努力には二種類あると述べている。
それは「直接の努力」と「間接の努力」の二種類だという。

直接の努力とは、当面差し迫っている事柄に全力を尽くすこと。一方、間接の努力とは、準備する努力、基礎や源泉となる努力のことを言う、とある。

●やや分かりづらいので私はこう理解している。

テストで良い点数を取るために勉強するのが「直接の努力」。たとえばテスト前夜に徹夜で勉強することや、テスト問題のヤマを張るために過去の出題傾向をさぐるなどの努力をいう。

「間接の努力」とは、テストや点数に関係なく学問として学ぶ努力をいう。

どちらも大切な努力だが、私たちはすぐに結果を求めて「直接の努力」ばかりに目が奪われるが、若者は「間接の努力」を惜しんではならないと露伴は説いている。

●今学んでいることがいつ役に立つか分からない。だが、将来に備えて学ぶべきことを学ぶんだ、という態度を若い頃から養っておきたいものである。
スポーツは相手に勝つためにやるのだが、そのためには、圧倒的な時間を「間接の努力」に振り向けなければならない。企業が体育会系出身者を好む理由でもある。

●若い頃から体育、知育、徳育を怠りなくやってきたら、40代以降になってそれが花開く。だが、親ゆずりの先天的才能だけを頼りにして努力を怠ってきた人は40代以降になって俄然、精彩を欠くものだ。

●だから学校の先生方も生徒に対して「間接の努力」を要求してほしい。だが、学校自身が進学塾化し、偏差値や進学結果で評価されるようになっている以上は、生徒にもついつい「直接の努力」だけを求めてしまいがちだ。良き指導者はそこを何とかする。

●企業は学生の採用にあたって、学歴ではなく努力の履歴を見る。

促成栽培のように要領よく点数を稼いできた若者には魅力を感じない。
愚鈍に「間接の努力」をしてきた若者を求めている。それは学問だけでなく、スポーツでも趣味でも特技でもいい。それがいつどのような役に立つのか分からないがコツコツと努力を続けてきた経験がある人を企業は求む。

●「それが何の役に立つのか?」に答えられないことでもやりたいことはやろう。
しかも自分では「努力している」という実感をもっていなくても、周囲があきれるようなことをやろう。