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山形ハーネス

●「W杯でやるサッカーをお見せする」と臨んだ韓国戦で我々が見せられたサッカーとは何だったのだろう。
結局、ほとんど良いところがないまま2-0で完敗し、試合後に進退伺いを出した岡田監督。だが一夜あけて、「あれは冗談」と撤回した。

●リーダーが迷走すると選手がどうなるのか気になったが、本田、大久保、闘莉王の各選手はまったく動じていない様子。
プロらしく、選手はそれぞれ”自分の責任”と感じているのだろう。

●希望的観測になるかもしれないが、私は今回の韓国相手の敗戦とその後のドタバタ劇はW杯直前の準備として最高だったのではないかと思う。

ものごとには陰の極み(いんのきわみ)というものがあり、最近の日本代表チームは、選手個人もチーム全体も明らかに調子を落としている。これ以上、落ちないくらいに落ちているように思う。あとはいつ調子が上がっていくかだが、その起爆剤になりえるほどショッキングな出来事が今回起きたわけで、これが陰の極みとなり、これから一気に反転上昇する可能性に賭けてみたい。

●チヤホヤされても自分たち個人の実力なんてこんなもの、チームとして結束を高め、意思を共有した組織サッカーを目の色かえてやらないと世界はおろかアジアでも勝てないということが分かったはず。
今後、選手生命をかけて選手同士が結束を高め、無心でやれば本戦で一勝や二勝できなくはない。そうした姿勢がどの程度表れるかどうか、次のイングランド戦(5月30日)に注目している。

●もし社長が銀行か取引先に進退伺いを出したら社員はどうだろう?
「社長は経営に自信がないの?」となって社内は混乱することだろう。

いついかなる状況にあってもトップはその地位にあるかぎり、組織のだれよりも勝利に対する情熱と信念をもっていなければならない。それが揺らいだときは、身を引くときである。だからそれが揺らがないために、いつも最新の経営計画、成功計画をもっているわけだ。

●岡田ジャパンに今必要なのは練習ではなく、「ベスト4進出計画」を文書にすることと、それを選手と共有することではなかろうか。

企業の組織運営を見習ってほしいものである。

●さて今日は、先週金曜日の株式会社山形ハーネスさん訪問記を書こう。

山形ハーネスさんは社名の通り、ハーネスの組み立て加工販売をする従業員23名の会社。山形県鶴岡市に本社があり、昨年、関東にも営業所を作った。
創業は1985年で、1994年に現社長の大瀧郁夫さんが代表取締役社長に就任した。
ずっと技術者だった大瀧さんが16年前、よもやの社長就任。一番驚いたのは本人だったという。経営の「け」の字もしらないまま社長を任された。周囲に頭をさげて経営の教えを乞うてまわった。

●その当時からずっとお世話になっているという電線メーカーのK相談役(75歳)は、先日の25周年謝恩会でジョーク混じりにこんなスピーチをされた。

・・・
今日で25周年を迎えられたということですが、メデタイというかよくもったというべきか。(場内爆笑)
私が記憶しているだけでも3回はつぶれかけている。(再び爆笑)いや、本当ですよ、少なくとも3回。

「あ、これで山形ハーネスも終わったな」と思うのだが、なかなか終わらない。そのたびに立ち直ってくるので “なぜだろう” と思っていたが、こうして経営計画発表会に参加して理由がよく分かった。
それは、社員のおかげだ。社員がよくできてる。社長になりかわって私からお礼を申し上げたい。(深々と社員に頭をさげるK相談役)

斉藤専務をはじめ幹部社員、若手社員がじつによく結束して社長のいたらなさをフォローしている。特に近年の社員の成長はめざましい。
・・・

と社員を褒めちぎった。一見すると社長には辛口なコメントだが、社員を誉められて悪い気がする社長はいまい。

●鶴岡市内のホールで開かれた経営計画発表会と25周年記念謝恩会。
社員のほかに、取引先、銀行、経営者仲間など合計60名を越す規模で行われた。

●大瀧社長は元来が職人気質の技術者だったという。

設計をやっていた若い頃、「オレがひいた図面のどこが悪い、文句があるならよそへ行ってくれ」とケンカしたこともある。
だが、その後営業の仕事をやり、経営者になってからは一円の受注のありがたみが分かるようになり、職人気質は吹っ飛んだ。
だが、江戸っ子気質のような気っ風の良さは相変わらずで、好き嫌いもYES/NOもハッキリしている。相手が誰であれ、虫が好かなければ絶対合わない。
そうした大瀧社長の気質を知り尽くしたうえで、K相談役、S顧問、Hさん、Nさんなどが大瀧社長の後見人のように相談にのってくれる。
何しろ52歳、決して可愛らしい顔ではない。眼光鋭く人を見つめると、にらまれているようにもみえる。
だが、人柄の素直さとシャイさ、時々みせるわがままさが大瀧社長の魅力なのだろう。

●社長に就任して6年目の2000年夏、ふとしたきっかけで『がんばれ社長!今日のポイント』のメルマガを知った。創刊直後のことだった。
それ以来、毎日届くメルマガを無心に読み、時々プリントアウトもした。
メルマガに広告も掲載されるようになってからは、本やCDやDVDを次々に買っていった。特に、中村天風さんやストーリービジョン、話し方センター、マンダラ手帳とMY法合宿、インド仏陀旅行など、次々に学習し、吸収していった。

●中小企業家同友会の存在を知ったのも「がんばれ社長!」だった。資料請求したら山形県の事務局長がわざわざお越しになったので、すぐに入会手続きをした。
その後、経営指針書(経営計画書)を作り、2004年から毎年経営計画発表会を開催してきた。徐々に会社らしく、経営らしくなってきた。
●経営が軌道に乗る前は、自宅で奥さんに頭を下げて頼んだこともある。「おい、うちにある預金通帳を全部おれに預けてくれ」と。
意外にワンマンなところもあるようだ。

また、社長就任時には、大瀧社長の個人信用が足りなくて父親が全部個人保証してくれた。決して小さな金額ではなかった。
「あのとき、親父や妻はよく私を信用してくれたと思う」と大瀧さん。
私が思うに、信用したというよりは信用するしかなかったのだろう。

●幹部社員いわく「うちの社長は奥様のおかげでもっている」というが、謝恩パーティで奥様にお目にかかった私は、幹部の言葉が真実であると確信した。

とは言え、すべては大瀧流経営の確かさがあってのこと。
明日はその大瀧流経営について考えてみたい。

★山形ハーネス http://www.yharness.com/

<明日につづく>