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自由について

●ある時、上海でがんばっている若手起業家たちと夕食をご一緒した。
上海でも人気の火鍋屋で肉をしゃぶしゃぶしながらの懇親会。
日本語と中国語、ときどき英語を交えながら活発に交流を深め、宴もたけなわにさしかかったところで私が何げなく、「皆さん、こうして外国で生活しながら好きな仕事をやれるなんて幸せだね」と発言した。
すると、一部の人が “反論”というか、”訴え”というべきか、次のような話をしてくれた。

●・・・
たしかに上海は発展している。いたるところにビジネスチャンスが転がっていて刺激がある。そうした部分だけをみれば、日本を脱出して中国に来た方が成功しやすそうに見えるかもしれない。だが、代償も多い。日本では当然のように保証されている「自由」が、ある程度制限されている。

たとえばTwitterやYouTubeなど日本や海外で話題のサイトを見られない。本や映画も制約がある。言論の自由はかなり広がっているが、それでも当局の監視はきびしく、いったんにらまれると国家権力が直接・間接に発動し、やがて中国にいられなくなる。事実、活動できなくなって日本にもどった人たちが何人もいる。
こちらに住んでみるとそうした制約に戸惑い、興ざめすることがある。

それになじめない人は、ちょうど三年目あたりに中国(または上海)を去る。それが「三年の壁」で、そこを無事に過ぎればあとしばらくは大丈夫だ。
・・・

●多かれ少なかれ海外でビジネスする人たちはこうしたローカルルールに当惑するのだが、特に中国の場合はそれが濃厚のようだ。

夕食会を終えてホテルにもどり、眠るまえにホテルのバーへ行った。
今さらながら「自由」のありがたさについて考えていたら、スタッフが話しかけてきた。日本語が堪能な中国人女性だった。

女性:いつ中国に来ましたか?
武沢:昨日です。
女:どこから来た?
私:今回は名古屋から。
女:名古屋以外から来ることもあるの?
私:東京から来るときもある。
女:家がいくつもあるの?
私:家は名古屋だけ。東京にはオフィスを兼ねたマンションがある。
女:いいなあ、行ったり来たりしてるの?
私:東京と名古屋を行ったりきたり。あと日本のいろんなところにも行ったり来たりしている。時々こうして外国にも来る。
女:うらやましい。私はあなたがうらやましい。私はパスポートがないから外国に行けないし、もし取れても日本には行けないと思う。
私:ビザが下りない?
女:たくさん保証金を積まないとビザが下りない。
私:旅行が好きなの?
女:旅行は一番の夢。でも生まれ故郷(安徽省)と上海しか知らない。あ、でもこの前休みが取れたので友だちと蘇州に日帰り旅行してきた。それぐらいかな、私にとっての旅行は。

●ウィスキーを飲みながらここでも「自由」の身を実感した。

私たちは、好きな場所で好きな仕事を選ぶことができる。自宅をどこにするか、オフィスをどこにするか、職業を何にするか、すべて自由である。
誰と仕事をするか、どれだけ仕事をしてどれだけ利益や収入を得るかということも自由である。

●多少不自由な点があるとすれば、税金が少々高いことくらいだが、自由が保証されているのは、先人たちのおかげ。この権利を行使しない手はない。