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下人笑わずして道ならず

研修を終え、みなで居酒屋に行った。

ジャケットを脱ぎすてネクタイを外しシャツの第一ボタンを緩めた。乾杯のあと、研修講師をつとめた Q は美味そうにビールを二口流し込んだ。「いやぁ、いいね。こうやって皆さんと一日中勉強して、腹を割って話し合い、締めにいただくビールの味は格別だ」表情が先ほどまでとは打って変わって穏やかになっている。

Q は一生遊んで暮らせる財を20年で築きあげた。それでもまだ人生を楽しむよりは、連日ハードな仕事の日々を選んでいる。口ぐせは、「俺は自分や家族のために働いたことは一度もない。いつも世の中が良くなることだけを願って働いてきた」である。

その席でも Q はその話をした。すると、若い受講生の R が質問した。

「Q 先生、衣食足りて礼節を知る、といいます。私のような未熟な経営者はいつも現実に追われ、社会に役立つ会社になりたいと心から願う境地にはなかなかなれません。早くそうなりたいのはやまやまですが・・・」と自嘲気味に笑った。軽いジョークのつもりだったかもしれない。Q は瞬時に「バカモン」と大声で叱った。研修のときの厳しい表情に戻っている。

金がないから大きな夢がもていなという奴にかぎって金ができたらさっさと引退するんだ。要するに自己都合だけで生きてる証拠なんだよ。それが100%悪いことだとは言わんが、俺に言わせれば、部下がかわいそうだ、部下が」

R の表情が一変した。顔面蒼白である。Q は言葉を足した。「いいか、夢というやつはな、自分でかくありたいと決めるものなんだ。夢がどんどん発展していくことはあっても、自然にそれが生まれてくることなんてない。僕なんか自分の給料がまともに取れないときでも、お客さんに使ってもらうための5億のビルを建てる夢を毎日みていた」

「君にそうした真剣な夢はないのか?」と Q は問う。R はうつむき、黙った。30秒ぐらいの沈黙があった。周囲でやりとりを聞いていた数名の者は酒にも料理にも手をつけず、ふたりを注目している。

「先生、私にはそういった具体的な夢はありません。ただ、今の窮状から抜け出したいという気持ちがあるだけです」「バカモン、そんなの夢とは言わんだろ。腹が減ってるから握り飯を喰いたいと言ってるのと一緒じゃないか。握り飯が君の夢か?」「いえ、・・・、おっしゃる通りです。先生、良い夢と悪い夢の違いは何でしょうか?」

「夢とは道と置きかえてもよい。道に関して故事にこうある」

・・・
上人おおいに燃ゆる
中人おおいに悩む
下人おおいに笑う
下人笑わずして道ならず
・・・

周囲にいたほぼ全員がその言葉をメモした。

「君が道を語ったとき、それが理解できるトップクラスの人間だけが大いに燃えるんだ。中間クラスの人間はそれが理解できなかったり、やり方が分からなくて悩むものさ。下のクラスの人間は君に道を説かれて、”ハハハ、そんなバカなことを”とか、”ムリに決まってる” と笑うものさ。世間は、あいにく下のクラスの人間が多い。だから、笑われてナンボなんだ。道とはそういう性質のものだよ」

あきらかに先ほどにくらべて R の表情が引き締まっている。Q は励ますようにこう言った。

「まず君は、自分の道を説けるようになること。そして、それを発奮して聞いてくれる相手を見つけること。それが君の経営者人生を一変させる」深々と頭を下げ「先生、注がせてください」と R はビール瓶を差し出した。火花が散るような生きざまの交流がそこにあった。