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サラシを巻いた社長

●暮れも押しせまったある夜、医療系の人材派遣会社「キタジマ・マンパワー株式会社」(仮名)の北島寛二社長(仮名、35才)と会食した。
氏が指定した割烹店で先に待っていると、定刻ぴったりになってやってきた。
もともと京都のお公家さんのような色白細面の北島社長だが、その日は普段に増して顔が白く、最早、蒼いとよぶべきか。
「お待たせして申し訳ありません」という表情も普段以上にこわばっていた。

「いえいえ、今着いたばかりですから」と言いながらも私は、内心で、(何かあったな)と感じていた。その表情は寒さのせいだけでないはずだ。

●乾杯のグラスビールがなくなる頃、
「武沢さん、上着を失礼してもよろしいですか」と彼。
「どうぞ、どうぞ。遠慮なく」

ビールのせいか、それとも店内の煖房のせいか、少しだけ顔に血色を取りもどしてきたようだ。

「武沢さん、実はこの三つ揃えのスーツは今日のために新調したものなんですよ」

よく見ると、北島社長の細身の身体にピタッとフィットして実にかっこいい。
「イタリア製ですか?いい感じですね」と私。
「フルオーダーのスーツは初めてなのですが、いいもんですね」
「たしかに。でも、わざわざこの食事のために作ったわけじゃないでしょ」
「ええ、実は。今日は僕にとっての”インデペンデンス・デー”(独立記念日)になるような出来事があったので、それにあわせて作りました」
「へぇ、インデペンデンス・デー、ですか。おめでとうございます。何はともあれ、乾杯しましょう。次もビールですか、それとも熱燗にしますか?」
「あ、僕は冷酒で」

●今から5年前、創業者の父が急逝し、大手商社に勤務していた北島さんが実家に呼び戻されるように二代目社長に就任した。

創業者のアイデアの良さと抜群のリーダーシップで業容は拡大し、あっという間に派遣人材の数で業界トップになった。
そんな先代と比べられると、たしかに二代目は線が細い。内面にある熱さや、芯の強さが表面に出ていない。
いついかなる時でも笑顔を絶やさず、穏やかに話し、優しい心配りをする。女性的ですらある。

●幹部や社員と意見が対立しても、まずまっ先に折れるのが北島社長だった。
「あの部下のあの発言は間違っているな」と思っても、その場では決して言わない。いや、言えない。言おうとも思わない。そうした発言をさせた自分が悪かったと自ら反省するタイプである。

●そんな北島社長の「インデペンデンス・デー」とはいったい何か。

「これがあるから僕はこの店に来ます」と北島社長が言う新潟の銘酒
『八海山』で乾杯し、その出来事を聞いてみた。
すると、まったく私が想像していなかった言葉が彼の口から発せられた。
それは、「今日、番頭格のリーダーに解雇通告をしました」

というものだった。

●北島社長の会社では、派遣スタッフ以外の正社員は7名。そのうち、先代社長の時代から勤務してくれている番頭格の幹部社員は3人いた。
幹部会議メンバーはその3人と北島社長によって行われるのだが、その3人のうちの2人は明らかに反社長派と言えた。
たった4人の幹部会議が二派にわかれ、議論が紛糾して何も決まらないことがあるのは、この反社長派勢力の2人がいるからだ。
そのリーダー格がZ部長(40)。営業部門の責任者である。

「僕はマザコンでして」と告白する北島社長にとって、Z部長は苦手な年上女性だった。

「社長ね、どこまで現場のことを知っててそう言ってるの」と会議で食い下がられると、何も言えなくなってしまう。

●この5年間、あらゆる努力をしてZ部長との溝を埋めようとしてきた。
時には二人でこの店へ来て酒を酌み交わしながら話し合ったこともあるが、二人の信頼関係の溝は1ミリも埋まらなかった。

●詳しい事情を聞き終わり、私は、解雇の決断も大事な社長業だと思いつつもあえて意地悪にこう言った。

「この年末に解雇ですか。Z部長はこの寒空に何を思うんでしょうな」
「・・・」

「・・・」
「・・・、う~ん、ほんとうに、正直、う~ん、辛いです。う~ん、最悪の、う~ん、結果だと、う~ん、思います・・・」
うつむいて涙目になっている。

「・・・」私もあえて下を向いたまま何を言わない。

以下「う~ん」を省くが、5秒に一回それがあると思っていただきたい。

「ですから、少しでもZ部長に礼を尽くそうと、三つ揃えを新調し、このスーツの下にはまっさらのサラシを巻いてきました」
「まるで今から切腹するみたいですな」
「本当は僕が切腹したほうが会社のためだとも思うんですが」
「オーナーが切腹してどうするんですか」
「僕はオーナー業に徹して、Z部長に社長業をやってもらおうかとも考えました。でも、それにしたって二人の間には信頼関係が必要だと思い、その道も断念しました」

●社内規定に退職金制度はないらしい。Z部長にはルールに則って予告手当を支払うわけだが、北島社長は彼女を手厚く遇したいという。

なぜなら自分のこの5年間の接し方がもう少し真剣であれば防げた出来事だと考えているから。
今期は赤字決算で資金力が弱い。だからまとまった一時金は払えないが、彼女の次の職場が見つかるまでのあいだ、最長一年間は給与の全額を毎月振り込むという。

「それが僕が当然受けるべき返り血ですから」

●「私はそれには反対ですが、とりあえず、飲みますか」と私。

この日、二人で八海山をどれだけあおっても愉快な気持ちにはなれなかった。そもそも愉快で楽しいだけが酒の目的ではない。

●Z部長が辞めたあとも給料を払い続けることが良いかどうかは一概に言えない。だが、それは本稿の主旨とは別の議論なのでここでは触れない。

この日、北島社長が自分で勇気ある決断を下したという事実を讃えた。
良くも悪くも、その結果をすべて受け入れる覚悟で下した決断は、自ら「インデペンデンス・デー」と名づけたにふさわしい一日だと思っている。したくないこともあえてする、それが社長の仕事だから。

同時に、できれば北島社長には二度とサラシを巻かないでほしいと願うものである。