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ちゃんとした経営計画書

●社長の一番大切な仕事は経営計画を作ることである。二番目に大切な仕事は経営計画を関係者と共有することである。三番目に大切な仕事は、経営計画を達成することである。

経営計画を作っていない会社では、計画不在、社長不在ということになり、船長が乗っていない船で目的地がないまま航海しているようなものだ。

●「武沢さん、出来ました。チェックしてください」

と経営計画書を見せてもらったら、がっかりすることがある。
それはどんな時かというと、”今のままでいけば、5年後にはうちの会社はこうなりますよ” という見通しを見せられただけのときだ。
それは「経営計画書」ではなく「経営見通し書」である。そんなのは社長が作るまでもなく、経理の新人でもやれる。

●経営計画を作るときには、将来の目標を今の延長線上に据えてはならない。社長の意志が必要なのだ。

また、社員や各部門から上がってきた数字を合計しただけの安易な積み上げ方式の計画作りもやめよう。
現状を肯定しつつも来期はそれを否定し、会社をより強く柔軟に理念に肉薄する組織にしていくのだ。
だから、数字ありきの計画ではなく仕事ありき、仕事の考え方ありき、想いありき、の計画にしたい。

●自社や自身にあった良い経営計画を作れるような社長になろう。
当然のことだが、一回や二回作っただけで分かったつもりになるのは早い。
「やってみたがうちにはあわない」と経営計画づくりを放棄する社長もいるが、その作り方が御社に合わなかっただけのことで、計画を作ることが合わないのではない。あなたに合ったやりかたを見つければよいだけのことだ。

●「トップ本来の仕事は今日とは違う明日を作りだすことである」というドラッカーの言葉を借りるまでもなく、今年とは違う来年を作ろう。それには、三つの質を高めることが肝心だ。

1.計画の質を上げる(立案力)
2.計画の進捗管理の質を上げる(目標管理力)
3.行動の質を上げる(遂行力)

今年を総括するとき、上記三つの視点でふり返って来年への教訓と課題を見つけよう。それを学習という。学習する人は必ず成長する。

●最後に、「経営計画書」という言葉について少々思うことがある。
経営計画書とは、経営の計画書のこと。それ以外の何ものでもないのだが、「経営計画書」と言うと、どうも難しく考えられがちだ。

●私の理解では、故・一倉定先生が日本で一番最初に経営計画書というものを体系的に整備された方だと思う。
そのおかげで経営計画書とはこういうものだという完ぺきな姿がそこにできあがった。
その功績は絶大だし、今も一倉先生のあとを受けた様々なコンサルタントがほぼ同様の教えをされている。しかし、時々その弊害のようなものを感じることがある。

●「ちゃんとした経営計画書とはこういうものであって、お宅がつくっているそれは、まだ経営計画書とは呼べない」というような会話が経営者仲間でも起きているのはなぜだろう。

そうした、宗教の排他性に近いような「経営計画教」的考え方をもった人から話を聞くと、「経営計画書はムズカシイ」という間違った意識を植え付けられることになる。

●そうではなく、私の考えはこうだ。

経営とは社長と社員の「Wish」を実現すること。難しいことをやる必要は毛頭ない。Wish(やりたいこと)を書き出して、その中から大切なものを選んで目標に置きかえる。社長も社員も互いの Wish を出し合ってそれを互いに理解し合い、その中からいくつかの目標を決める。
それに向かってがんばる。ただそれだけだ。

それが立派な経営計画書である。そう考えれば「ムズカシイ」なんて言う人はいなくなる。むしろ皆さんが「オモシロソウ」と言ってくれるはずだ。

●そう。
まず、オモシロクなければ始められないし、続かない。
社長も社員も少しでもオモシロクやれる方法を模索し継続するうちにちゃんとした経営計画が作れるようになっていくものだ。
「ちゃんとした経営計画書」とは、一倉式だけを指すのではない。毎年成長する会社を実際に作ることができる計画のこと全般を「ちゃんとした経営計画書」というのだ。

<あしたは経営計画発表会について考えてみようと思う>