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己の中の猛獣使い

●今年の日本シリーズは「勇士」と「巨人」の戦い。第二戦を終えて一勝一敗、どちらが勝つのかまったくわからない。昨年同様、第七戦までもつれ込む可能性もある。

●プロ野球チームには「勇士」や「巨人」以外に、シャチやツバメ、ライオンや鯉などいろんな愛称の球団名があるが、あなた個人の名前にこうした名称をつけるとしたら何にするだろう。

●タイガースは虎。虎のように強いという意味だから勇ましくて良いが、本物の虎が野球をやったとしたらおそろしいことになる。

古い中国の物語に、人間が本物の虎になってしまったという話がある。

以下、『山月記』(中島敦著、新潮文庫)のストーリーを紹介するが、ネタバレが困るという方はまず小説をお読みいただきたい。ネタバレでも構わないという方は、この原稿を読んでから『山月記』をお読みになるのも良いと思う。

●天才・李徴(りちょう)は若くして中国最難関の試験に合格し、誰もがあこがれる役人生活をはじめた。しかしおのれの才能を誰よりも高く評価していた李徴は、役人生活にあきたらなくなり、すぐに辞めた。

●役人として出世するためには誰かの部下として仕えねばならない。
そんなことが自分には出来るはずがないと、人との交際をいっさい絶ち、人里離れた寒村でひたすら詩作に専念しはじめた李徴。

作詩の世界ならば不要な人間関係にわずらわされないで済むはずだ。

●だが何年かして、詩作だけでは生活ができなくなった。妻子を養うためにふたたび、収入のために役人生活をはじめることにした。
そこでは、かつての同僚がみな出世して、彼らの命令を受けねばならない現実があった。誇り高い李徴の心中やいかばかりか。

●悶々と苦しんだ李徴は、ついに出張先で発狂し、山の中に入っていってしまう。そして虎になってしまった。
最初は自分の姿を信じられなかったが、それが現実と分かると、彼は嘆きかなしむ。そのとき、目の前を一匹の兎が駆けた。
次に自分の中の人間が目ざめたとき、自分の口は兎の血にまみれ、周囲には兎の毛が散乱していた。それが李徴の虎デビューだった。

●一日に数時間は人間の心が還ってきて、その時間には四書五経もそらんじることができる。だがその時間におのれの残虐な虎としての行為(時には人も喰う)をふり返るのがもっとも情けなく、恐ろしいことだった。だが、幸か不幸か、人間の心に還る時間が日に日に短くなっていく。

●そんなある日、李徴の数少ない友人が目の前に現れた。最初は喰うつもりだったが、友人と分かり、人間の言葉で草むらから話しかける。
「自分は李徴である」、その声を聞いて友人は李徴と分かる。最近、このあたりに出没する人喰い虎は李徴であったと悟る。そのあと、李徴と友人とのやりとりは教訓に充ち満ちている。

●李徴が若いころから友だちを持たず、傲岸不遜な態度で通したのはほとんど羞恥心によるものだったと。もちろん自分の才能には自信があったが、それは臆病な自尊心だったと告白する。
詩作で名を成そうと思いながらも、進んで師につこうとしなかったし、詩友とまじわって切磋琢磨しようとも思わなかった。
おのれの中にある珠を磨こうとしなかったのは、実は珠がないかもしれないという気持ちもあったからだ。

●そうして逃げるうちに、おのれのなかの臆病な自尊心を飼い太らせていくことになった。人間は誰でも猛獣使いであり、おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣であり、それが虎だったのだ。

どうやら、おのれがもっていたわずかばかりの才能をおれは空費してしまったようだ。おのれよりはるかに乏しい才能でありながら、それをひたすら磨いたために堂々たる大家になった作詩家がいくらでもいることに、虎になってから気づいた、と悔いる李徴。

「どうか、妻子が路頭に迷うことがないように見てやってくれまいか」と友人に懇願し、野に帰って行った李徴。

●この物語はたしか教科書にも載っていたように思うが、あらためて原作を読んでみて、私の中にある猛獣を上手に使わねば来世を待たずとも今生で、猛獣になりかねない。
猛獣になりたくなければ、「勇者」や「巨人」になるしかない、ということか。

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