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アミエルの日記

●スイスの哲学者であり詩人でもあったアミエル(アンリ・フレデリック・アミエル、1821年-1881年)は、24才から59才まで17,000ページに及ぶ日記を書き続けた。彼が亡くなってからそれが見つかり、出版されるや否や、その洞察の深さと明晰さ、内省の誠実さや文章の美しさなどから評判を集め、一躍彼の名を世間に知らしめることになった。

●邦題は『アミエルの日記』という。
この日記に影響を受けた作家は非常に多く、ロシアの文豪・トルストイもその一人とされる。日本でも長年「岩波文庫」から発売されてきたが、あいにく今は絶版となっている。まだお読みなっていない方は、古書店などで見つけることができれば、是非お求めになるとよいだろう。

●日記の話題は、芸術、宗教、思想、社会、戦争、政治、人間、人間関係、風俗、恋愛、快楽、健康、病気、結婚、読書、執筆、などなど、多岐にわたる。
活字も小さく、文字もびっしりで文庫本四冊あるので読破は難儀するかもしれない。関心をひくところだけを拾い読みするだけでも充分おもしろい。
私がもっとも好きな箇所はアミエル自身が、自分自身に負けてしまって習慣の悪さなどを嘆き、自己批判するくだり。自分のことを言い当てられていてスカッとする。
そんな中から一ミリでもよい、今日からでもよいので前にあるものを仰ぎみて前進しようという希望が持てるように書かれているところが好きである。

●今日は、そんな『アミエルの日記』の冒頭の部分をご紹介してみたい。
私の手元にある岩波文庫『アミエルの日記』河野與一訳は、少々字体が古く読みづらい箇所もあるのと、意味をより鮮明にするため、武沢意訳とさせていただく。以下、文責武沢。

・・・(以下、『アミエルの日記』より)

●可愛そうに私の日記。7カ月も待たせるなんて。5月の決心をやっと実行するのが12月になるとは。
それよりも可愛そうなのは私。なぜなら私は自由ではないから。全く私には自分の意思を実行する力がない。7カ月前に作った覚え書きを今読み返してみた。何もかも自分を見抜いているし、予見している。
自分ではなかなか立派なことを言って、非常に前途有望な目的もたてている。なのに今日はまた、元のところに落ち込んでしまっている。
あれだけかたく決心したことをすっかり忘れてしまっている自分がいる。

●私には、理知ではなく性格の大切な部分が欠けているようだ。私は自分を見抜くことはできるが自分を服従させることができないでいる。
現にこの瞬間も、こうして私は自分の過ちとその原因を発見することができるが、その過ちに対抗する力は持ち合わせていない。だから、私は自由ではない。

●表面だけをみれば、私より自由な人間などいるはずがない。なぜなら、私には外的な強制はなにもなく、自分の時間はすっかり自由に使えるし、自分自身でどのような目的をたてようとも自由だからだ。
これほど自由な人間はいないはずである。それなのに、何週間も何ヶ月もの間ずっと私は自分から逃げている。その日その日の気まぐれに負けている。

●お前は自由ではない。なぜか。お前がお前自身と気が合わないからだ。お前が自身に恥じて顔を赤くするからだ。お前が自分の好奇心、自身の欲望に負けるからだ。お前にとって一番つらいのは、自身の好奇心を捨てることなのだ。

●お前が生まれたのは自由である為、そして、勇ましく十分に自身の思想を実行する為だ。そのためには、お前自身とも運命とも仲よくして行くことが義務であり使命でもあることを承知している。
けれどお前は、自身の一般的な義務の奥底にあるもっと特殊な使命をはっきりさせないでいる。否、お前はせっかく到達していたはずの結果を自分で本気に信じなかった。お前は使命とは関係のない他のことにいつも心を奪われてきた。
自分の意思のとおりに動くこと、ひとつの考えに集中するということはこんなにもつらいことなのだ。

・・・(以上、『アミエルの日記』より)

●そして、アミエルは「これらのことを考え合わせて心が決議する」と次のような決意で結んでいる。

1.毎晩数文字でもよいので日記を書く。
毎日を回顧し、日曜日には一週間の回顧、毎月第一日曜日には一ヶ月の回顧、年末に一年の回顧をする。
2.必ず日記のなかで具体的な結論を書くようにする。

●日記なのだから自由に思いつくままに文字をつづって気分の発散をするのもよいが、アミエルは、なにかの決意と結論を自分から導き出すために書いている点がおもしろい。

秋の夜長に『アミエルの日記』。