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悪法も法なり

新しい一週間が始まりました。W杯も一気に盛り上がっていますが、仕事もW杯のように、いや、今日のお天気のようにスカッと熱くいきましょう。さて、いきなりお題です。昨日、読んだ本につぎのような一文がありました。あなたは経営者としてこの文章をどのように受け止めますか?

以下、引用
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まったく車の通らない交差点の赤信号の前で、子どもがじっとたたずんでいた。
「よく見てごらんよ。車なんかどこにもいないじゃないか」そう言いたいのをこらえて、自分だけサッサと渡る。すると子どもは軽蔑のまなざしで私を見る。
「規則を守らないとは、とんでもないオッサンだ」とでも思うのだろうか。
確かに規則は規則。もちろん信号は守るべきだ。だが、規則は何のためにあるのかと言えば、われわれ一人ひとりの人間が、より楽しくよりよく生きるため。しかし、私には無表情でたたずむ子どもが決して幸せそうで楽しそうには見えなかった。マニュアル通りの生き方しかできない。知恵を失った子どもたち。車の姿が見えなくても赤信号では交差点を渡らない子どもは、黄信号なら車が猛スピードでやってきても平然と道を横切るのではないか。
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「ゴルゴ流 血液型人物観察術」さいとうたかを著 PHPエル新書の『はじめに』より引用

さあ、この原稿を幹部会議で回覧して「君はどう思うか?」と尋ねてみてはいかが?

若者に対して、マニュアル通りの生き方ではなく自分で考えた生き方をしろよ、というメッセージは理解できる。一見すると、すべてがもっともな内容に見受けるが、実は組織づくりの原則からみれば、このさいとう式個人主義は許されるものではない。

とくに、赤信号で待つ子どもに対して「無表情で幸せそうには見えなかった。」というのはこじつけと思われる。ちなみに、私はゴルゴ13ファンであり、作者さいとうファンの一人として、今回の書籍は迷わず買った。ゴルゴ13のフィギアまで所有するほどのゴルゴ&さいとうフリークでもある。そんな私でも、この文章を見逃すわけにはいかないのだ。

人が二人集まればそれはすでに組織だ。その組織を維持したり、強化したりするためには、普通、規則やルール、マニュアルなどが必要になる。

とくに、就業規則と賃金規定だ。これがない会社は存在しないはずだ。会社の憲法のような存在であり、この規則・規定から派生して様々な枝葉のルールが出来ている。これを守り、守らせることが秩序の始まりである。

某レストランで、かつて実際にあった話。いつも10分遅刻する部下に対して上司が理由を聞いた。すると、「支店長、就業規則には午前9:15出勤とあるのは知っています。でも、私が乗るバスのダイヤからいくと、この時刻にしか来れないのです。これ以上早くすると、定刻よりもかなり前の出勤になってしまって、早すぎるのです。」それを許可した支店長のもとには、その後、部下から同様の申し出が相次ぎ、就業規則通りに勤務している部下はほとんどいなくなったという。

規則と社員との関係は何か。

「当社はこんな組織です。そしてこのような規則とルールで運営されています。それを守れる自信がある人は応募して下さい。」

ということだ。入社した以上は、「悪法も法なり」だ。どんなに理不尽な規則やマニュアルであってもそれに従わなくてはならない。勝手に自己判断でルールを破ってはならないのだ。同時に、悪法と思われる規則やマニュアルがあるならば、それは無視するのでなく、改訂することに全力を注ぐことが法治国家・法治企業の秩序を守る鉄則だと私は思うが、いかが。