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メンターについて

●私は「メンター」という言葉が好きになれない。いや、「メンター」という存在を認める気になれないのだ。

『はてなキーワード』によれば、メンターとは “仕事や人生に効果的なアドバイスをしてくれる相談者のこと” とある。

●単なる助言者、相談相手という一線を超えて、もっと濃密な関係である。
通常は一対一で、継続的に面会して助言を授けていく、全幅の信頼をベースにした師弟関係だ。師匠の方が「メンター」であるのに対して、弟子の方を「メンティ」などとも言う。

●私はそんな「メンター」など、持つな、なるな、と申し上げたい。

孔子やキリストやブッダが「メンター」と呼ばれることは決してない。
なぜなら、彼らは偉大な教えを残したが、今我々の相談には乗ってくれないからだ。従ってメンターとは、当然ながら今生きている人でなければならないわけだ。

●ある日のこと、A社長とお話ししていたらなにかの話題から突然、「武沢さん、私にはメンターがいるのです」と彼女が言いだした。

“出た。またメンターか” と内心で思いながらも私は平静をよそおって「ほぉ、そうなんですか」と言う。
すると彼女は、「私のメンターはこの方です」と、メンター氏が書いた本を私に手渡した。

●「へぇ、あなたのメンターはBさんなんですか。なるほどね~、評判いいですからね、彼は」とでも言うしかない。

実は、Bさんという男性がどのような人なのかは知らないし、あまり興味もないのだが、その場はとりあえず褒めておくしかない。

●するとA社長は熱っぽくBメンター氏の素晴らしさを語り出す。
こちらは嫉妬していると思われたくないから、彼女の話を最後まで聞くしかないのだが、そんな時の話は実に退屈なのだ。

A社長に限らず「私のメンターは○○さんです」と周囲に自分のメンターを紹介する人がいるが、それは”百害あって一利なし”だから、おやめになったほうがよい。

●誤解と反論をおそれずに言うなら、10代、20代の若者がそれを言うのなら理解できなくもない。
また、サラリーマンやOLの人がそれを言うのも理解できるような気がする。
ところが、相応の年令に達していながら、しかも会社の社長でありながら自分のメンターを周囲に吹聴し、しかも「あなたもメンターを持ちましょう」などと喧伝する行為には、断固反対する。

●「メンターをもつな」という思いと、もし持ってしまったとしても、「それを周囲に言うな」という二つの思いが私にはある。

周囲に言ってはならない最大の理由は「嫉妬と反感」だ。
それを聞かされたこちらが、メンター氏と同性であり、おまけに同世代であれば、これほど悔しいことはないしそれを目の前で異性から言われたこちらは、何だかバカにされた気がする。

「武沢さんにもその方をご紹介しましょうか」などと言われようものなら、その場で席を蹴って帰りたくなる。

さらにはメンター氏が自分より年下であれば、「絶対そいつ、怪しい男だから、やめておきなさい」と年甲斐もなく反論するだろう。

●メンターを持ってはならない最大の理由は、依存体質を作るからである。
自分で考え、自分で決断し、自分で悩むという大切な行為をスルーしてしまう可能性がある。

●そもそも人間は、いつかは他人に失望しやすいものである。
メンターにだって、いつかは失望するだろう。だからといって、メンターを次から次に変えるようなことをしていては、自分というロボットを操縦してくれる名パイロットを探すだけの人生であって、いったいいつになったら自分の考えで自分の足で人生を歩き始めるのか。

●「我以外 皆我が師」といった宮本武蔵。

自分以外の人はみんな自分の先生だと言いながらも、誰かに弟子入りしたことは一度もない。
メンターはおろか、師匠すらもたずに自分独自の世界をつくった。

二刀流こと「二天一流」の剣は彼の考案であり、剣豪として終生無敗であっただけでなく、彼が書いた兵法書「五輪書」は今も世界で愛読され続け、水墨画家としても国宝級の作品が数多く残されている天才だ。

●彼はだれかに弟子入りしたのではなく、良いものを観察する力が人一倍強く、おそらく森羅万象から影響を受ける感度の高いアンテナをもっていたと思われる。人間の師を持たなかったからそうなったと考えるべきだろう。

人はいったん誰かに教えを請うて、その味をしめると、とことん誰かを必要としてしまうので要注意なのだ。

●最後に、仏陀の遺言を紹介して私の「メンター論」の締めとしたい。

・・・アーナンダ(弟子の名)よ、私はこれまで真理をすべて法というかたちでありのままに教えてきた。法を教えるのに出し惜しみはしない。

汝たちは、自分自身を灯明とし、自分自身をよりどころとせよ。他のものに頼ってはいけない。
法を灯明とし、法をよりどころとするがよい。他のものに頼ってはいけない。

「何か質問することはないか」三度くり返して弟子たちに問う。

では、修行僧たちよ。汝たちに告げる。
もろもろの現象は移ろいゆく。怠らずに努めるがよい。
・・・

(2009/5/21 クローバ経営研究所 月例経営セミナーテキストより)

●「自灯明、法灯明」・・・自分を灯明として、法を灯明として歩め。

他のものに頼ってはいけない。