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久どん余話

●世の中、常識的な人間が増えて破天荒な生き方をする人が減ってきた。特に芸人や役者、スポーツ選手の私生活は大いに華やかであるべきなのに、写真週刊誌のおかげか真面目で無難な常識人が増えてしまったようだ。

●破天荒といえば、昨日号の『久どんの心意気』で紹介した「紺屋高尾」の久どんも相当な男だ。

「あの高尾太夫(たかおたゆう)という花魁に逢いたい」という一心で三年間も給料を貯めこんで、ようやく作ったお金が15両(約100万円)。
それをたった一晩でパーッと使い切ってしまうなんて、江戸っ子が好みそうな話である。
ちまちま貯めてちょろちょろ小出しに使っているようでは、大した男になれはしない。

●今朝、ジムでウォーキングしながら浪曲『紺屋高尾』を二度聞いた。
いい話は何度聞いてもいいもんだ。
二度目のある場面にさしかかったとき、ふと私の脳裏に新しいインスピレーションが得られた。それは、なぜ松下幸之助さんがこの浪曲を愛していたのかが分かったのだ。

●幸之助は若い頃から「ダム式経営」を心がけてきた。
水をダムでせき止めて、満々に貯めこんでから一気に水門を開くことでものすごいエネルギーが得られる。
それと同じく企業の資金も日ごろから蓄え、ここぞという時に思いきって使え、という教えである。

花魁のために15両(100万円)も貯めて一気に使った久どんに、本来の「ダム式経営」の姿を見たとしても不思議ではない。

●さらに発想を飛躍すれば、吉田松陰さんにもこの話題でご登場願う必要があろう。
彼は、「思いきり貯め込んで一気に使うのはお金ばかりではない。人の中にある”精気”もそうだ」と考えていたからだ。

以下、小説『世に棲む日日』(司馬遼太郎著)の一節より。

・・・
要するに人間には精気というものがある。人それぞれに精気の量はきまっている。松陰によればよろしくこの精気なるものは抑圧すべきである。抑圧すればやがて溢出する力が大きく、ついに人間、狂にいたる。松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。それが、おのれの欲望を解放することによって固有の気が衰え、ついに惰(だ)になり、物事を常識で考える人間になってしまう。自分は本来愚鈍である。しかしながら非常の人になりたい、非常の人とは、狂夫である。
何人(なんびと)でも狂夫になり得ると思う。欲望さえおさえれば、だが。
・・・

●固有の気を衰えさせるのは精気の浪費である。

抑圧し、蓄えるべきものはお金だけでなく、エネルギーもそうなのだ。
そうしないと惰(だ)に襲われ、どんどん愚鈍な常識人間になっていってしまう。

気を引き締めたいものである。