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サザンオールスターズ ライブに行って

(文中、敬称略)

6月14日(日)、午後5時。サザンオールスターズの名古屋ライブが始まった。36曲、3時間半のライブと聞いていたので、終了は8時半を過ぎる。おそらく晩ご飯はゆっくり食べられないだろう。我々は早めにドーム近くのイオンに集合し、パスタで腹ごしらえを済ませた。

午後4時過ぎ、ナゴヤドーム到着。1番ゲートを入って、我々の席がある通路に向かった。ゲートから通路入り口までの距離は約20メートル。ところがそのわずかな移動になんと15分もかかった。満員すし詰め状態のドーム内通路は、かつての中日 vs 巨人の天王山の一戦でも見られなかった混みよう。たとえるならば山手線の通勤ラッシュの状態を少しだけマシにした状態。野球時の最大収容人数が40,500人のナゴヤドームにアリーナ席が加わりざっと数万人がおしかけた。空席はゼロだ。ファンの年齢層は比較的高めか。

午後5時、定刻ぴったりに幕があがった。桑田佳祐の歌声とサザンのサウンドがドーム中に響きわたる。あとは一気に桑田&サザンの世界に引きこまれていく。曲によってファンは立ち上がったり座ったり。立ったときの振り付けも決まっているらしく、最初は恥ずかしくて手拍子しかできなかったが、いつしか恥じらいも消えて身体が勝手に動いていた。

37周年のベテラングループだけに曲の合間のMC もとてもうまい。まだツアーは終わっていないのでネタバラシはできないが、笑わせたり乗せたりするスベにとても長けている。しかもご当地ネタをしっかり仕込んでのファンサービスもたっぷり。しかも一曲歌うごとに桑田は必ず「ありがとっ!」と言う。ファンあっての自分たちであるということを強く自覚しているのが伝わってきた。大スターになったいまでもネットでの評判が気になるようで、サザンに対して良からぬ書き込みを見たりするとかなり傷つくらしい。そんなデリカシーもあるからこそ不動の人気があるのだろう。

告白すれば、私はサザンの歌をあまり知らない。いくつかの大ヒット曲しかしらない。iPhone には『TSUNAMI』と『蛍』しか入っていない。今回は音楽好きの友人に誘われて「では、せっかくなので」とやってきた。それが実によかった。音楽と読書と映画は友人のすすめに乗ってみるものだ。

桑田は青学時代からバンド活動を行い、原(桑田の奥さん)や後の中心メンバーと出会っている。今回ライブにご一緒した一人も青学出身だが、桑田たちの存在はうっすら覚えているという程度。当時はそれほど目だってはいなかったらしい。

ウィキペディアには私が知らなかったサザンのこんな一面が書かれている。これは是非、シェアしておきたい。

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(学生時代)20代であるにもかかわらず、合宿先などでステテコ・ももひき・サングラスといういでたちであったために、サークル仲間に30代だと言われていた。最も初期に付けられていたバンド名、「温泉あんまももひきバンド」は、この時の桑田の風貌から来ている。

・デビュー当時はコミックバンド扱いされていたこともあり、当初桑田も芸名を「桑田K助」にする話もあった。

・デビュー当時サザンは、本人達にとっては強制的な形で『8時だョ!全員集合』や『スターどっきりマル秘報告』などのバラエティ番組にも度々出演し、コントやモノマネなどの芸をしていた。ちょうどその頃、ザ・ドリフターズのリーダーいかりや長介が、ドリフ脱退を希望していた高木ブーに代わる新しい人材を探していたところで、TBSプロデューサーを通して、桑田にドリフ加入を打診していたという。桑田は、いかりやとは会うだけ会ったが、具体的なやり取りについては明かされていない。
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では、桑田のあの独特の歌声や歌い方は誰の影響によるものか。

<明日につづく>