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苦悩を突き抜ける

●「お昼に寿司をご馳走したい」という連絡が入ったのでよろこんで出かけることにした。
A社長とB社長と私の三人で人気の寿司屋のカウンター席に座る。
大将おまかせ握りをほおばりながらのミーティング。

●このお二人はトヨタの自動車部品を作っているのだが、昨今の”トヨタショック”の余波をもろにかぶって業績不振に陥っている。
そこで来年の計画を大幅修正し、売上が半減する見通しにした。その半減計画すら達成できるという確信がもてないほど、きびしい局面だという。そんな難局を乗り切っていくために社長に求められるものは何なのかを私から聞きたい、というのだ。

●なにしろトヨタが赤字になったのは59年ぶりなのだから、私の年令より古い。
つまり前代未聞のことが起きているわけだから私だって助言のしようがないというのが正直なところ。
彼らに何を申し上げるべきなのか、頭が整理できないままミーティングが始まった。

●「そういえば武沢先生、夕べはかみさんに連れられてベートーベンの『第九』(だいく)の合唱付きを聴いてきましたよ。初めての経験でしたが、いいもんですなぁ生演奏は。感動して目頭が熱くなりました」とA社長。

それを聞いてB社長が突っ込む。

「こんなご時世に『よろこびの歌』ですか?僕にはあり得ないな。こっちの気分はむしろ『昭和枯れすすき』ですよ、ハッハッハ」

たぶん冗談なのだろうが、笑えないほどB社長のボヤキは真に迫っていた。

●岩佐東一郎作詞・ベートーベン作曲/文部省唱歌「よろこびの歌」

晴れたる青空 ただよう雲よ
小鳥は歌えり 林に森に
こころはほがらか よろこびみちて
見かわす われらの明るき笑顔

花さく丘べに いこえる友よ
吹く風さわやか みなぎるひざし
こころは楽しく しあわせあふれ
ひびくは われらのよろこびの歌

「もともとの原詩はシラーなのですが、こんな鼻歌を歌いながら仕事するのが社長の役目じゃないですか?」
と私は申し上げた。

●するとB社長は案の定、反論してきた。
「武沢さん、こっちだって喜びたいのはヤマヤマですよ。でもそれができないから困っている。どうしたら喜べるようになるのか、そこを知りたい」

●どうやらB社長はベートーベンもシラーもご存知ないようだ。

何かを失うと思うから暗くなる。もともと持っていなかったものを借りていて、それをお返しするだけのことではないか。むしろ、昔のようにふたたび何も持たずに済むと思うと、大いに喜べるのではないか。

●第九をつくったベートーベン(1770-1827)は、ドイツの作曲家。

20才代はじめに難聴となり、26歳の頃には中途失聴者となった。音楽家として聴覚を失うという死に等しい絶望感から自殺も考えた。
そんなベートーベンが22才の時に出会ったのが詩人・シラーの『歓喜の歌』である。大いに感動した若きベートーベン。シラーの詩はこうだ。

・・・歓喜の歌(喜びの歌) Japanese
フリードリヒ・シラー(渡辺 護訳)

おお友よ、こんな音ではない!
もっとこころよい
もっと歓びに満ちたものを歌いだそうではないか

歓びよ、美しき、神のきらめき、
楽園よりの乙女よ
われら火のごとく酔いしれて
ともに汝の天の如き聖堂におもむかん

汝の魔力は世の習わしが強く引きはなしたものを
再び結びつけてくれる
汝のやさしい翼のひらくところ
すべての人々は兄弟(はらから)となる

一人の友の真の友となるという
難事を克服したる者
貞淑なる女性を妻としたる者は
歓びの声をともに挙げよ

そうだ、この世界の中で
たとえ一つでも人の心をかち得た者も
そしてこれらに失敗した人はすべて
涙とともにこの仲間から去ってゆけ

すべての物は
自然の乳房から歓びを飲む
すべての善なる者も、すべての悪なる者も
自然のいばらの小怪をたどる

その自然はひとしく我らにくちづけとぶどうの房と、
そして死によって試みられた一人の友を与える
虫けらにさえ快楽が与えられる
そして神のみ前には少年天使が立っている

天の広大な計画に従って
天のいくつかの太陽が飛びまわるように
走れ、兄弟たちよ、汝らの道を
凱旋の英雄のように歓びを持って

互に抱き合え、もろびとよ!
全世界の接吻を受けよ!
兄弟よ、星の上の世界には
愛する父がおわします

地にひざまずいたか、もろびとよ、
造物主の在すことに気づいたか、世界よ!
星の上の世界に、彼を求めよ!
星の上に彼は必ずやおわします。

・・・

※出典→ http://pinkchiffon.web.infoseek.co.jp/book-kanki.htm

●この詩にいたく感動したベートーベン。
難聴のどん底にあり、先行きを悲観していたときに出会った。まだ交響曲第1番も作曲していない時期であったが、構想を温め、ようやく最後の交響曲第九番でこの詩を用いた。

●余談だが、なぜ年末になると第九を演奏し、ひとびとはそれを聴きに行くのだろうか。これは日本だけの風習らしい。

「Yahoo!知恵袋」にこうあった。

・・・背景がありました
日本で年末に第九が頻繁に演奏されるようになった背景には、戦後まもない1940年代後半、オーケストラの収入が少なくて、楽団員の年末年始の生活に困る現状を改善したいと、合唱団も含めて演奏に参加するメンバーが多く、しかも当時(クラシックの演奏の中では)「必ず(客が)入る曲目」であった第九を日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)が年末に演奏するようになり、それを定例としたことが発端とされる。
1960年代から、国内の年末の第九の演奏は急激に増え、現在に至っているそうです。
・・・

●なるほど、どうやら深い思想的な意味はないようだ。

最後に、ベートーベンが言い残した言葉をご紹介しよう。

・・・われわれは、ひたすら悩み そして歓喜するために生まれてきたのです。ほとんどこう言ってもいいでしょう。
人は苦悩を突き抜けて歓喜を得るのだと
(ベートーベン)
・・・

●人が生まれてきたのも悩むため、歓喜するため。
社長が会社を経営するのも悩むため、歓喜するため。

歓喜は悩みを突き抜けたときに訪れるものだということを知っておきたいものである。2009年は突き抜ける年だ。

この日、寿司屋の勘定が割り勘でなかったことを思うと、少しはお二人の励みになったのかもしれない。