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金銭感覚

まずはじめに、お断りを。私個人がお金の使い方や金銭感覚を人様に向かって論じるような立場にはない。恐れ多くて、とてもそんな事は出来ない。

今日のこの稿では、経営コンサルタントして企業経営者のお金の使い方を見てきて、「なるほど」と感じたことや、「ちょっとそれは違うのではないの?」と感じたことを縷々申し上げる試みだ。少々お付き合いを。

マキャベリが『君主論』の中で次のように述べている。

「人間、ことに世の君主の毀誉褒貶はなにによるのか」として、君主のお金の使い方が毀誉褒貶を決めているという。

※毀誉褒貶(きよほうへん)・・・称賛と非難、いろいろな世評
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お金の使い方が君主の評判を決めるというのだ。それでは、どのような使い方が良いのか。おおらかで面倒見とあわれみ深いお金の使い方が良いのか、その逆に、ケチでみみっちくて、自分のものすら出さずに済まそうとタイプがあるとすれば、どちらが正解か?そして、あなたは今、どちらか?

マキャベリは後者であるべきだと指摘する。
その理由をお知りになりたければ、『新訳・君主論』(マキアヴェリ著 中公文庫BIBLIO)の90ページ以降をご覧いただきたい。

とにかくケチでないと国や会社をつぶす。決して部下や周囲の関係者から良く思われたい一心で財布のひもを緩めようとしてはならない。それは、悪魔の誘惑だ。

ただし、けじめというものがある。
経営者が使うお金には、会社のものと(公金)個人のもの(私金)の両方があるわけで、先にご紹介したマキャベリの話は、まずは公金に限定した話だと思う。

個人のお金で飲み食いしたり遊んだりする分には、ケチでせこいのは楽しくない。宵越しの金は持たないくらいが楽しいが・・・。

公私のけじめが大切になるわけだが、けじめがしっかりしているとはどういうことか。それは、個人のお金と会社のお金とが色分けされていることを言う。実際に色分けされているわけではないが、そうであるかのように明確に使い分けている状態、それがけじめである。まるで別人格であるかのように、公と私では金銭感覚を使い分けている社長がいるが、立派なことだと思う。

公私のけじめをつけるには、そうせざるを得ない態勢にすることだ。

社長が経費を使うことに対して、社内で不自由さを感じる程度のチェック態勢を作っておくことが望ましい。すべて社長のいいなりで出金できるような経理態勢では危険だ。

関東のある外食企業では、社長の飲食代のすべてが『研究開発費』として処理されていた。休日に社長の家族全員で出掛けたファミレス代も研究開発だ。

「社長、そこまではちょっとやりすぎじゃないですか?」と指摘すると、「武沢さん、心配無用だ。税務署からも指摘を受けたことがあるが、熱意を込めて事情を説明したら納得してくれたよ。」

う~んこの社長の話、どうも納得できない。いくら税務署が認めてくれて、お墨付きの行為だとはいっても、社員がみんな見ている。社長がいくら迫力あるスピーチや巧みな文章力で理念やビジョンを語っても、もっと説得力あるもの、それが社長のお金の使い方だ。

先の外食社長とは対照的に立派だったのは某建設会社の社長だ。新幹線や飛行機で出張する時いつも自由車両とエコノミークラス。なぜグリーン車やファーストクラスにしないのか尋ねたら、すごく短い答えが返ってきた。

「会社のお金は株主のお金ですから。」

会社のお金は株主のお金、(実際そうだが)とまで言い切れるところにこの建設会社のすごみを感じた。これもひとつのけじめの基準である。たまには、金銭感覚と金銭哲学を点検してみるのも悪くない。