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これが才能だ!

『さあ、才能に目覚めよう』(日本経済新聞社刊)の中に、次のようなくだりがある。要約してお伝えしよう。

人間の脳だけは他の器官と異なり、成人以後には縮んでいく一方である。しかし不思議なのは、脳はより小さくなるのに、人はより賢くなるという事実だ。なぜ脳だけがそうした現象を起こすのか。その謎を解く鍵は「シナプス」にある。シナプスとは脳細胞同士がコミュニケーションを取るための脳細胞の接合部で、一つの脳細胞が受けた刺激を別の脳細胞に伝える回線の役割を果たす。人の行動はこの連結構造で決まり、その構造は個々によって異なる。シナプス構造が才能を生み出すと言ってもよい。

人は胎内にいるとき、ものすごい勢いで神経細胞(ニューロン)が増える。120日後には1000億個もの細胞が備わる。しかしそこで、細胞の増殖はぴたりと止まる。つまり人間は1000億個のニューロンをもってこの世に生まれ、その数は中年期後半まで変わらない。(以上要約)

ここまではすでに多くの方がご存じだろう。おさらいのようなものだ。脳の驚くべき物語(私だけそう思っているかも知れないが)は、ここ始まる。再び『さあ、才能に目覚めよう』(日本経済新聞社刊)の要約。

生まれる60日前、ニューロンは互いにコミュニケーションを取ろうとしはじめる。ニューロン同士がうまくつながると、そこにシナプスが形成される。この連結作業は最初の3年間ですべて完成する。事実、3才の時点では、1000億個のニューロンが互いに連結し、一つのニューロンにつき1億5千万個のシナプスが形成される。このようにして、広範囲にわたる複雑かつ独自性ある脳内回路が完成するのだ。

だが、人間はこの回路を無視する。そのように促されていると言ってもよい。やがて使われない回路は壊れはじめ、修復不能となっていく。3才から15才までのあいだに、それこそ無数のシナプスが失われてしまう。そして16才の誕生日ころには、回路の半分が使い物にならなくなっている。壊れた回路は、もう二度と再生できない。(以上要約)

う~ん、ちょっと残念な気がする。そういえば、日本のことわざで、「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人」というのがあった。脳のメカニズムとまさしく符号する。壊れた回路がもったいないのは事実だが、そこで落ち込む必要はない。勇気が出る続きがあるのだ。

教育学者ブルワーが著書で述べているように、脳に関する限りは「小が大を兼ねる」のだ。シナプスが多いほど賢く優秀というわけではないのだ。賢さや優秀さとは、最も強固な回路をいかにうまく利用するかで決まる。自然は選ばれた回路を有効利用させるために、わざわざ何十億個ものシナプスを失うことをわれわれに強いているのである。だから、回路の減少は問題視するのでなく、むしろ重要なことなのだ。生まれて数年の間は、実に多くの情報を吸収する期間として、多数のシナプスを必要とする。吸収の期間を過ぎて、世界を理解するためにはいくらか情報を遮断しなければならない。そのようにして、遺伝的特質や幼児期の体験に基づき、遮断すべき回路と流れがよくて使いやすい回路とが選別される。競争心を生む回路、知識欲旺盛の回路、戦略思考に優れた回路、などその人を特長づける回路がこの頃に決まるのである。このように、少数精鋭の回路が生き残り、他の多くの回路が壊れてくれないと、人間は子供から大人の思考へ成長できなくなるのだ。

この書物では、その後、強みを発見し、それを活かすための具体論や強みを土台とした企業作りにまで議論が発展している。ご関心のある方は、お読みになると良いと思う。

成長するとは何か。それを、脳の観点で表現すれば、回路を遮断・廃棄し、選りすぐられた独自の回路を使うことだ。その少数精鋭の回路のことを人は『才能』という。

「賢さや優秀さとは、最も強固な回路をいかにうまく利用するかで決まる。頑固さや神経質といった欠点さえ、それが力を生み出すなら『才能』となる。」(同著の作者)

最後に、この本の取り扱い上のご注意を。

すべての本に言えることだが、これ一冊だけを盲信してはいけない。自らの得意なことに固執しすぎて、喰わず嫌いだけで苦手なことを条件付けしてしまうことがあってはならない。

先週お会いした某経営者は、きっと生涯にわたってeメールなしの生活を送ろうとしておられる。それもひとつの価値観なら尊重するが、本当の理由はパソコンが苦手だからに違いないとみている。人生何才になっても新しい才能を発掘する冒険心を忘れてはならない。いや、この場合は才能の発掘というより技能の修得であり、知識や技能を増やす作業は一生涯続くものであるはずだ。

・ケンタッキーのカーネル・サンダース
・マクドナルドのレイ・クロック

彼らのような超遅咲きの成功もある。才能を活かすとは、過去の成功体験の中で生きようとすることではない。才能とは、跳ね返されても跳ね返されても必死に挑むなかで、突如、現れる一瞬のチャンスをものに出来る能力でもあることを彼らは証明しているのだ。