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感激する力を養う

●「あなた、あの子供には甘いわね」といわれたことがあるが、可愛いから甘くなるのは当然ではないかと開きなおった。

「わ、ありがとっ!おじさん」と、おこづかいをもらって大喜びしてくれれば、またあげたくなるのが人情だし「ふ~ん、どうも」と、子供のくせにつれない反応しかできない子には、「返してくれ」といいたくなる。

それは相手が大人の場合でもまったく同じで、特定の人だけを可愛がっているように見えるのかもしれないが、それは感激度の高い相手だからしようがない。

●あなたも感激しやすい人になろう。心の中にある「感激メーター」がすぐに上昇し、レッドゾーンまでふれやすい人になろう。
また、社長は「感激メーター」の感度がよい人を採用していこう。
感激の心があれば、義憤(ぎふん)の心もそだつからだ。なぜなら、感激と義憤は一対のペアだから。

●義憤とは、正義をまもるために憤慨することである。
「だめじゃないか」「このままではいけない」と危機感をあらわにし、警報をならし、立ちあがる力である。そんな人がよい仕事をする。

ダンテが「地獄の一番熱い所は、道徳的危機に臨んで中立を標榜する輩の落ちる所である」と『神曲』に書いたように、危機にあって客観的傍観者でいられる人間など、なんの訳にもたたない。そんな社員はいらないのである。

●勝海舟も「精神の感激が大事だ」というが、むかしの日本人は感激屋さんがおおく、その証拠によく泣いたそうだ。
江戸時代末期など、仲間があつまっては憂国のはなし、親の仇討ちのはなし、志のはなしなどをしては泣きあった。
魂の感激メータ(義憤メーター)の感度がいまよりも相当高かったとしかおもえない。

●そんな泣きやすく感激しやすい当時の若者のなかにも無感激・無感動な輩はいた。
激動の幕末にあってそんな無感激・無感動な若者がいたことに驚きを禁じえないのだが、そもそも、志士として維新革命に加わった若者の数は約4,000人らしい。
その当時の日本の人口は約3,400万人だから、革命参加率はたった0.01%(8500人に一人)になる。
今の日本の人口で計算すれば、14,000人の志士が集まれば日本は変わる。

意外に少数でも革命は成就するのに、今の国会議員数722人(衆参)、地方議員もあわせて約6万人が議員だ。
人口比率0.05%もの議員がいて、幕末の5倍にあたる志士が政治に参加している計算だ。
仮に保守派や改革反対派が半数いたとしても、すでに革命に必要な数は充分足りている。
にもかかわらず変わらないというのは、「船頭多くして船山に上る」になっているか、それとも6万人の議員の中に志士とよべる人が乏しいのか。

●閑話休題

幕末の長州藩(山口県)で松下村塾といえば高杉晋作や伊藤博文、木戸孝允、久坂玄瑞などそうそうたる人材を育てた私塾である。

吉田松陰先生からここで薫陶をうけた若者は、大げさにいうと、明治まで生き残りさえすれば、例外なく出世できた。「松下村塾生」というブランドのおかげで。

●だが松下村塾生といえども無感激・無感動の輩はその例外だ。

二年間も松陰先生の元で学び、明治まで生きたにもかかわらず、まったく出世せず、それどころか、行方もわからなくなってしまった若者が三人いる。気の毒なことに名前まで残っている。
音三郎16才、市之進13才、溝三郎13才の三人で、いずれも町人の子だった。

●人からたのまれて松陰先生は断れずに置いておいたが、いずれも、ふやけた感じの子で松陰が懸命に矯正を試みたが結局うまくいかなかったようだ。
彼ら三人には、師匠・松陰という人物に対する感激や興奮がまるでなかった。新しい知識や見聞を得ても感激しなかった。ついに志を持つことも同志を得ることもなく、ひっそりと歴史舞台から三人とも消え去った。

●「感激メーター」の感度が悪いとこんなものだ。チャンスや出会いをものにできる人間とは、日ごろから「感謝感激」の心を育んだ人である。あなたに感謝感激の心があって、それを表現していけば、やがて相手からも感謝感激が返ってくる。それが仲間や同志だ。
その感激の共鳴音が大鐘の反響のようにグヮングヮンとあなたの周囲にこだまするだろう。

感謝を言葉にしよう、表情に出そう、態度にだそう。
お返しを考える前に、感謝感激のきもちを素直に表現するのだ。

神仏も女神も感激屋さんを可愛がってくれるはずだ。