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薄欲録

●澹泊明志(たんぱく めいし)…淡白でなければ志を明らかにすることはできない、と我が子に教えたのは諸葛孔明。

さらに数百年ほど時代をさかのぼれば、孟子が「心を養ふは寡欲(かよく)より善きはなし」と説いている。
心を養うには我欲を少なくすることが一番大切だ、という教えである。
孔明に孟子、ともに我欲から離れよと言う。

●吉田松陰は、10才にして藩主毛利敬親の御前で「武教全書」を講義した。そしてこの若さで藩校・明倫館の兵学教授として出仕しはじめている。
「吾れの自ら処るは当に学者を以てすべし」(私はまさに学者になるべく生まれてきた)と、この時すでに志を固めている。
そのためには厳しい生活で自分を律することが大切だと考えた松陰は18才の時に「寡欲録」(かよくろく)というA4一枚程度の簡単な決意表明文を書いている。

●その内容はおおむね昨日号で紹介したが、「寡欲録」から9年たった松陰27才の時、「講孟余話」で寡欲録の内容を訂正している。
お堅いばかりじゃダメなんだ、ということだろう。だが、断固として軟弱な姿勢は許していない。

・・・自分は若い頃、志を明らかにするにあたって「寡欲録」と題して決意を書こうとした。ところがほんの数行書いて途中でやめてしまったが、最近になって反古紙の中からその原稿が出てきた。・・・

という書き出しで始まる松陰の文章。それは後に学者たちが「薄欲録」と名づけたものだが、松陰さんも「寡欲」から「薄欲」に進化した。

●・・・余因つて十年前を回思するに、当時師友多く詩文書画を以て人を誘ふ。吾が二、三の同学の如き、菅茶山集・頼山陽集などを枕藉して、本芸とする者あるに至る。其の卑孱浅薄亦嘔吐すべし。

【武沢訳】
(寡欲録を書いた)10年ほど前を思い返すに、当時私の周りで詩文書画(作詩や作画など)が流行していた。友人の中には儒者や漢詩人の本を読んで知性を披露するのが自分の本業であるかのように思っている武士もいた。その浅はかさは吐き気がもよおすほどである。

●・・・謂へらく、詩文書画は皆玩物、志を喪ひ、閑思日を消するの魁なり。其の害固より淫声美色に過ぐ。淫声美色又吾が性の嗜まざる所なれば、先づ詩文書画の欲より除去すべしと思へり。

【武沢訳】
その当時思ったことは、詩文書画の技芸に凝るのは志を無くすことになり、趣味人のようにのんびりした日々を送る羽目になる大変危険な遊びだ。その害たるや淫声美色(音楽や女性遊び)に凝るよりもなお悪いといえる。自分自身は淫声美色をたしなまないので、あとは詩文書画を近づけないように心がけようと誓ったものである。

●・・・已にして東西周遊し、今日に至り幽囚に苦しむ。頗る少時と所見を異にす。詩文の如きは興来れば亦作る。意生ずれば亦述ぶ。
興去り意尽くれば則ち止む。謂へらく、人性情あれば思慮あり、思慮あれば言語あり、言語あれば、詩文あり、是れ自然の勢なり。

【武沢訳】
しかし全国を旅してきて、そうした自分のこだわりを捨てなければならないと思いだしている。10年前と今とでは考えが異なるのだ。
詩文は興が乗ってくれば作りたくなる。自分の考えを発表したくなると、それを著述したくなる。当然、興が醒めればそれをやめる。
それは人間として当然のことで、感情があれば思考が生まれ、思考があれば言葉になり、言葉があれば詩文や書画で表現されることは当然の流れである。

●・・・性情思慮詩文、果して道義に出で聖賢に繆らずんば、何ぞ是れを欲として憎まんや。但だ書画に至りては敢へてなさず。是れ敢へてなさざるに非ず、実に能くせざるなり。
故に余前日寡欲の説、今日は変じて薄欲となるのみ。薄と云ふものは寡きに非ず、深く意を留めざるなり。
(後略)

【武沢訳】
感情や思いや言葉が聖賢の教えにそむくものでない限り、どうして詩文書画を憎む必要があろうか。ただし、自分は書画はあえてやらない。
やらないというよりうまく出来ないというべきか。
そうした理由で、昔述べた「寡欲録」の内容は今日、「薄欲録」として改めることにする。「薄い(うすい)」というのは「寡い(すくない)」のと違って心に深くとどめないという意味である。

●あれがほしい、これがしたいという欲が多くなるほど善なる本心に雲がかかり、それを見失ってしまうものだ。

人のためになる利他の欲望ばかりなら良いが、欲を膨らますと自然に我欲が多くなる。だから「寡欲」が大切であると説く松陰。

詩文書画までも遊興のたぐいと一緒であると切って捨てたが、志を養うものであればそれも許されると宗旨替えした。
それが「寡欲録」(18才)から「薄欲録」(27才)への進化である。

●私も松陰のように自分自身の決心や決意を手帳やノートに書いているが、その時の気持ちを整理するためだけに書いてきたようなものだ。
もっと自分自身の信条や行動規範となるようなものを書き、それに忠実であらねばならないと感じた。
経営理念や行動指針、経営マニフェストや経営計画とは、本来「寡欲録」や「薄欲録」のように社長や社員の行動を律するものであろう。

他でもない自分が自分を律するのだから、これほど人として素晴らしいことはない。