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寡欲論

●「サラリーマン」とは、毎月の給料で生計をたてている人のことを言う和製英語だ。業績が良くても悪くても決まった日に給料が支払われるわけだし、経営責任もないからリスクがない。だから植木等は、「気軽な稼業ときたもんだ」と唄った。

●しかしそれも昭和の時代まで。終身雇用と年功序列が終わり、いつリストラに遭うか、いつ無理難題な要求を突きつけられるかと戦々恐々だろう。そうした意味では、金融機関や株主に経営責任を問われることはないものの、それ以外のリスクは経営者並みに抱えるようになったのが「ネオ(新)・サラリーマン」というものだ。
その気概は社長のパートナーでなければ務まらない。

●ということは、サラリーマンにも志が必要だ。自分株式会社の代表者として骨太のビジョンを掲げて欲しい。ささやかな小市民的幸せ観などこの際きれいに捨て去って、世のため人のために何ができるか、何がしたいかを真剣に考えよう。

●「志」を説いた孟子、その孟子を愛した吉田松陰も「志」に生き、ついには「志」に殉じた。
「身はたとひ 武蔵野の野辺に朽ちぬとも 留置かまし大和魂」という辞世の句は有名だ。志の継承を願った名句だ。

「かくすれば かくなるものと知りながら やぬにやまれぬ大和魂」も彼らしい。志は打算や計算では成り立たないことを教えてくれた。

●ちょっと変わった句に、こんなのがある。

「討たれたる 吾をあはれと見ん人は 君を崇めて夷(えびす)払へよ」

自分が討たれたあとも天子をかついで攘夷せよと願った松陰だが、彼の予想をはるかに超えるスピードで倒幕がかない明治政府が誕生した。

●松陰神社の脇にある資料館で買い求めた『吉田松陰撰集』(松風会編)は、松陰が書き残した論文や日記、手紙などほとんどすべてが収録されていてありがたい。
まず、松陰18才の時の「寡欲録」(かよくろく)のハイライト部分を抽出し、松陰の志に触れてみたい。もちろん原文は漢文だ。

寡欲録(未焚稿) 引化四年(一九四七)十八歳

●・・・孟子曰く、「心を養ふは寡欲より善きはなし」と。周子曰く、「これを寡くして以て無に至る」と。物欲の陥り易くして悔い難きものを雑録して自ら勉む。

【武沢訳】
孟子曰く、「心を修養するには欲望を少なくするのが一番よい方法である」と。また、周子も言っている。「欲望を少なくすることによってはじめて無欲の境地に至ることができる」と。
欲望の罠に陥ってしまい後悔することのないようにここに決意を書いて勉めたいと思う。

●・・・凡そ欲の陥り易くして悔い難きものは、多くの忽せにする所在り。詩文書画凡百の玩好、皆是れなり。

【武沢訳】
なぜ欲望の罠にはまってしまうかと言うと、これぐらいは許されるといういい加減な気持ちを持つからである。作詩や作文、書や画などに夢中になることも物欲と基本的に変わらない。

●・・・書生、詩人を以て自ら名づけ又自ら処るは深く戒むべき所なり。此れを以て自ら処り自ら名づくれば、必ず自ら以て俗輩と同じからずと為して、漸く不遜の心を養成す。吾れの自ら処するは当に学者を以てすべし。

【武沢訳】
学問を志す者は、自分を詩人であるかのように名乗り、ふるまうことは深く反省すべきことである。なぜなら作詩することによって自分は他の俗物(自分の名誉や利益を求める輩)と違うとアピールだけして、実はそれが不遜の心を養うことにつながることに気づいていない。

●・・・謂ふ所の学なるものは読書、作詩の謂に非ず、身の職を尽して世用に供するのみ。又当に武士を以てすべし。謂ふ所の武なるものは粗暴の謂に非ず、君に事へて生を懐はざるのみ。

【武沢訳】
本当の学問とは読書や作詩にあるのではない。自分の本分・本業・本職に尽くしてこそ世の中の役にたつのである。武士にあって本分とは、武力を振りまわすことではなく、自分の命を賭して主君に仕えることだけを思い願うことである。

●・・・自ら以て俗輩と同じからずと為すは非なり、当に俗輩と同じかるべからずと為すは是なり。蓋し傲慢と奮激との分なり。
昔董仲舒、園を窺はず、孫敬、常に戸を閉ざす。古の人、其の学に於けるや、勤勉刻苦率ねかくの如し。猶を何ぞ花に吟じ月に酔ひて風人の態をなすに暇あらんや。   松陰在萩松本

【武沢訳】
自分は俗物たちとは違うと思うのは間違っている。そうではなく、自分は俗物と同じことは決してするまい、と決心するのは正しいことだ。
それがおごり高ぶりの心と、自分を正しく激しく奮い立たせる心との違いだ。
昔、董仲舒(とうちゅうじょ)という人は三年間書斎に閉じこもって学問に打ち込み、自宅の庭さえ見ることはなかったという。
また、孫敬(そんけい)は常に戸を閉ざして一心不乱に読書し、眠気がもよおした時は梁につないだ縄を首に巻いて眠気を防いだという。
本当の刻苦勉励とはそのようなものであって、詩人を気取るような暇があるわけがない。
松陰書 萩 松本村にて

<あすは欲望について、松陰晩年の論文を見てみよう>