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悪筆事情

●字は性格を反映する。
太くて大きい字を書く人、細くて細かい字を書く人、丸い字、四角い字、楷書でていねいに書く人、草書でスラスラ書く人、ミミズが這ったような文字、ひどい癖字、極端な悪筆・・・。

●以前に比べ、手書きの手紙やメモをやりとりする機会が減った。
そのおかげで、「あの人が書く文字ってどんな字だっけ?」と文字を思い出せない人も何人かいる。

●そんな時代にあえて手書きで手紙やハガキをくれる人がいる。そんな人は、例外なく達筆かというとそうでもない。
つい最近など、ほとんど解読不能な手紙を受け取って30分ほど途方に暮れた。
差出人の氏名と受け取ったタイミングから想像するに、セミナー参加のお礼と感想、決意表明などが書かれてあるのであろうが、内容が判読できないので返信もできない。

●悪筆といえば、知事の石原慎太郎氏の悪筆も相当有名だ。
推理小説を書かせた江戸川乱歩が石原の原稿を受け取ってしばし呆然とした、という伝説的エピソードを残している。
何か一人称で書いてあるらしいが、それが「僕」なのか「俺」なのか「儂」(わし)なのか…?思いあまって編集者が石原に直接読み方を確かめたところ、石原から返答がかえってきた。

「そんなの僕に決まってるでしょ、ボクのイメージで当然。僕ですよ」。
そこまでの伝説的悪筆を一度でいいから生で見てみたい。

●一昔前は丹羽文雄が悪筆の横綱だったという。
各印刷所では、「丹羽担当」がいて氏の悪筆を解読した。専門家でないと読めない文字だった。

文豪夏目漱石も相当の悪筆だったらしい。

だがこちらは、石原や丹羽よりましな方で、三週間で書き上げたといわれる「坊っちゃん」を直筆原稿で読める本が出ているので、あなたの目で直接確かめてほしい。
私もこれを買って読んだが、ところどころ読めないが、判読不能というほどひどくはない。

★直筆で読む「坊っちやん」 (集英社新書 ヴィジュアル版 6V)

●『Lapita』(ラピタ)2008年9月号で人気作家の筆記具を紹介しているが、石田衣良・北方謙三、リリーフランキー諸氏の生原稿がとても読みやすいのに驚いた。最近の作家はマナーが良いのか。

●実は私も相当の悪筆で、講演やセミナー、対談メモなどは私以外の者は読めない。
講演やセミナーでホワイトボードを使うと必ず質問される。
「真ん中あたりの赤い文字、なんて書いてありますか?」

●黒岩重吾も西村京太郎も悪筆だし、吉田松陰の門下生たちはそろって悪筆だった。
また海外では、かのベートーベンやナポレオン、マルクスなどもひどいし、アインシュタインにいたっては子供のころに文字を覚えるのに苦労したほどだから、大人になっても相当の悪筆だったらしい。

●悪筆ではなく遅筆で有名なのが井上ひさし、野坂昭如、伊集院静、リリーフランキー諸氏。
ただしリリーフランキーの場合は書き始めるのに時間がかかるだけで、ひとたび書き始めたら一日で50枚(2万文字)くらいは書くという。

余談だが、リリー氏の万年筆は金ペン堂(神田)のご主人から買ったというだけに、私とまったく同じ組み合わせ。同じ万年筆を同じインク(ウォーターマンのブルーブラック)で使っていて身近に感じられた。

●悪筆は悪くない。
絵が好きな人が書いた絵は総じて上手な絵が多いが、書くのが好きな人が書いた字が上手とは限らないものだ。

だが書くという行為は、人に読んでもらうためばかりに行うものではない。人が読めなくてもいい。
お気に入りのノートに向かってお気に入りのペンで文字や線や数字を紡ぎだしていく。そうした作業を通してしか生まれてこないアイデアがあるのだからペンと紙に向かう時間は何ものにも代えがたい恍惚の時間なのだ。