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極限で人が思うこと

北京五輪四日目。日本人選手の威勢のいいニュースとがっかりするニュースとが交互に入ってきている。四年に一度の祭典だけに、さすがの高校野球も色あせてみえるのは私だけだろうか。

今日8月11日という日はお休みの会社も多いだろう。お昼の新幹線で東京から名古屋に移動したがグリーン席に△と○の印があるだけで、あとはすべて×だった。

こんな日でも仕事をしている会社もある。気分は夏休みと五輪と甲子園に行きがちだが、今日という一日を大切に、しっかり過ごそう。
「今日は何となくフワーッと過ごしてしまったな」という日を作らないようにすることが大切だと思う。

致知出版社の柳沢専務に「最近のイチオシです」と薦められて読んだ『人生生涯小僧のこころ』はすごい本だった。

著者の塩沼亮潤住職(40才)は、吉野山1300年の歴史で二人目となる大峯千日回峰行者である。高低差1300メートル以上、往復48キロある山道を16時間かけて1日一往復するという難行を1000日間(9年間)、休みなく行う。
それ自体がすごいことなのに、著者は四無行も満行(まんぎょう、行を達成すること)しているのだ。

四無行とは丸九日間にわたって寝ない、食べない、飲まない、横たわらない苦行のこと。千日会峰行を満行した者だけに許された難行中の難行である。

食べない、寝ない、横にならないのは我慢できる。しかし水を一滴も飲めない辛さや苦しさは想像を絶するものがあるようだが、著者はその苦行中にもこの本の元になるメモを自分用にしたためてきた。
その手記もこの本に散りばめられているが、人のためにがんばれる人は強いと言うことを改めて教えられたような気がする。

いったん許可されてこの行に入れば、理由に関係なく中断は許されない。もし挫折した場合は割腹自殺するしかなく、そのための短剣を持参しての行なのだ。そんな難行苦行のプロセスで人は何を思い何を考えるものなのか。
こうした時に人間の真価が問われる。

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著者は修行の途中で病と疲労こんぱいで倒れ、「もうだめだ。自分の修行はここまで。腹を切るしかない」と山中に倒れたとき、仙台の母が見送りのときに言ってくれた言葉を思いだした。

「岩にしがみついてでも砂を噛むような思いをしてでも、立派になって帰ってこい」

彼は山中で倒れた姿勢のまま、母の言葉のとおり地面の砂を噛んでみた。
すると、もうろうとする意識が少しずつ正気に戻り始め、「ここで修行を中止して死ぬわけにはいかない。もう一度みんなのために歩き出してみよう」と立ち上がる。
すると不思議なことに「ウオォー」と声を出しながら走り出している自分がいた。それが限界を超えた瞬間だった。

人生は修行であると大阿闍梨(だいあじゃり)塩沼亮潤(しおぬまりょうじゅん)が語る本

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