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続・村上春樹の場合


●まずは訂正から。

7月30日号で村上春樹氏の作品を『少年カフカ』と書きましたが、小説のタイトルは『海辺のカフカ』でした。
『少年カフカ』とは、『海辺のカフカ』の読者と作者のやりとりを編集した雑誌風の単行本タイトルです。私はその両方を読みましたが、7月30日号で書いた日光のホテルで読みふけった本は『海辺のカフカ』の方でした。ここに訂正いたします。(武沢 信行)

●さて7月30日号の続き。

1979年、30才で『風の歌を聴け』を発表し小説家デビューを果たした村上は、その作品が後日、世間を大騒ぎさせることになるとは思っていない。後になってこう述懐している。

「応募時にコピーをとらなかったところを見ると、落選して原稿がそのままどこかに消え失せてしまってもべつにかまわないと思っていたようだ。作品が日の目を見るか見ないかよりは、それを書き上げること自体に関心があったわけだ」
(『走ることについて語るときに僕の語ること』(村上春樹著)より)

●だがそのデビュー作が「群像」の新人賞を取った。単行本になり、それが売れて映画にもなった。(主演 小林薫)
しかも第81回芥川賞の最終候補作品にまでなったが、最後の最後で落選した。この年の受賞作は『やまあいの煙』(重兼芳子)と『愚者の夜』(青野聰)である。

●余談だが二作目の『1973年のピンボール』も第83回芥川賞最終候補作に残ったが、結局落選。
この年は「受賞該当作品なし」という結果に終わっている。

●これで村上と芥川賞の縁は実質上切れた。なぜなら、芥川賞は基本的に中編作品が対象であるのに村上はそれ以降、長編路線に変更したからだ。
後になっての村上の大活躍で「芥川賞はいったい何やってるんだ」と批判されることになるが、文壇の評価と読者の評価はあくまで別ものらしい。

●そんな世間の騒ぎとは裏腹に、村上はまだ自分のジャズ・クラブと作家との二足のわらじ生活を送っていた。小説家になって三年になるが、まだ店からの収入の方が多い。

しかし、仕事の合間を縫うように30分、1時間と寄せ集めて書いた二つの作品が文壇を騒がせたという事実は村上をその気にさせた。
「自分にはもっと大柄な作品が書けるはずだ」と、店をたたむ大決断をする。

●せっかく店が軌道に乗っているのに「閉店する」という。
当然、周囲は反対した。「店は誰かに任せて、自分は好きなだけ小説を書けば良いじゃないか」と忠告されもした。
だが村上は店の権利を他人に譲渡し、専業作家の道を歩む決心を変えなかった。

●村上春樹の場合、その流儀はこうだ。

「たとえどんなことであれ、何かをするからには全面的なコミットでそれをやりたい。全力でやった結果、それがうまくいかないのなら諦めもつくが、中途半端なことをして失敗したらあとあと悔いが残る。
(『走ることについて・・・』より)

●こうして専業作家になって半年で書き上げた長編小説が『羊をめぐる冒険』である。
その後、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、 『ノルウェイの森』、『ダンス・ダンス・ダンス』、『国境の南、太陽の西』、『ねじまき鳥クロニクル』、『スプートニクの恋人』、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』などへと続いていく。

●特に1987年発表の『ノルウェイの森』は、上下あわせて430万部を売るベストセラーとなり村上春樹ブームを起こした。ついには国民作家といわれるまでになる。
先週、この作品の映画化が決まり、今後ますます部数を伸ばすに違いない。

●店を経営しながらでも文壇を騒がす作品が書けたのはひとえに村上の生まれ持った文学的才能に負うものだろう。

だが、そのあと、店をたたんでまで専業作家にコミットし成功したのは村上の勇気ある決断に負うものだと思う。
才能だけでは長期間働けない。勇気ある決断と持続する努力がそれに加わる必要がある。今日の村上を作ったのは、それらが備わっていたからだではなかろうか。