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村上春樹の場合

●JR名古屋駅の新幹線上り方面ホームのカフェスタンドで売っているおはぎ(130円)が実によくできている。抜群にうまい、というほどではないが、旅のお供におはぎ一個がバラ売りされているというのが何ともありがたい。当然、私は毎回買う。あるときなど4個買ってランチ替わりにした。
時間がなくて買えないときや売り切れの時は、大切な何かを忘れ物したような気になる。

●今朝も10時30分発ののぞみ号に乗るためにホームに駆けあがったら、ちょうど先頭車両が入ってきた。
「ん、やばい」と思ったが、誤差0秒の腕時計をみるとまだ2分ある。
時計を信頼して迷わず売場に走った。キャスターバッグを引っぱって数十メートルは走ったろうか。幸い店内に客はいない。

●店内に飛び込み、息を切らしながら「おはぎ一個。フーッフーッ!」と私。カウンターの向こうでは二十歳前後の可愛い顔をした女性店員が笑顔を見せている。それは営業用のスマイルというよりは、私の行為をみて “笑っている” というに近い。
「おはしもお付けしますね」と手際よく包装してくれた。

●「ありがとう!」と130円をカウンターにたたきつけ、満足して車内に入り、席につく。
何げなく通路向こうの席の女性をみてビックリ。映画でよくお見受けする美人女優Hさんだった。大物女優と言ってもいい。
一瞬だけ目があったが、すぐに彼女が視線を外した。とんでもないほど美しく、消しても消えないオーラがあった。

こんな日は一日中良いことが起こるはずだ。

●「どんな髭剃りにも哲学がある」とサマセット・モームは言っているが、私の出張にも当然、哲学があるのだ。
必ずおはぎを買うという哲学を今日も守ったからこそ、美人女優を間近に見られるという僥倖に巡りあえたのだと思う。

●「大物女優、Hが隣にいる。しかも一人で!」とオフィスへ携帯メールした。すぐに返信があった。

「大物女優が一人でいるわけがない。ソックリさんでしょ!」

悔しいので確かめようと、東京駅へ降り立つ彼女のあとをつけた。すると、となりの車両からすっと若い女性がHさんに近寄る。あきらかにマネージャーだと分かり納得して東京オフィスへ向かった私。

●おっと、今日はそんな「おはぎ自慢」をしたくてメルマガを書き始めたのではない。もっと役に立つお話を書くつもりだったのだ。

●一昨年、「東京奇譚集」を読んだときは、デリケートな文章を書く作家だな、という印象しか持てなかった村上春樹。洗練されてはいるが線が細い。どっしりとした男の骨太人生を描いた作品が好きな私だから、村上の作品は自分には向かないとそのとき思った。

●しかし今年の2月、日光を一人旅したときに読んだ「少年カフカ」には、すっかり魅了されてしまった。
初めて訪れる栃木県。
日光東照宮や湯葉そばも大変気に入ったが、カフカ少年の人生の方が気になってしまい、日光・金谷ホテルの部屋から一歩も外へ出られなかった。これぞ村上ワールドの真骨頂と思えるほど面白かった。

●カフカの次に読んだのが「走ることについて語るときに僕の語ること」だった。少年カフカのような文章を紡ぎ出すご本人に関心がわいたから。
この本は、村上の走ることに対するこだわりと書くことに対するこだわりが随所にみられて楽しい。
それは村上の素顔を知ることであり、彼の哲学を聞くことでもある。
「走ること・・」を読んで印象に残った箇所をいくつかピックアップしてみたい。

・僕は今、五十代の後半にいる。二十一世紀などというものが実際にやってきて、自分が冗談抜きで五十代を迎えることになるなんて、若いときにはまず考えられなかった。
(中略)
若いときの僕にとって五十代の自分の姿を思い浮かべるのは「死後の世界を具体的に想像してみろ」と言われたのと同じくらい困難なことだった。
ミック・ジャガーは若いときに「四十五才になって『サティスファクション』をまだ歌っているくらいなら、死んだ方がましだ」と豪語した。しかし実際には彼
は六十才を過ぎた今でも『サティスファクション』を歌い続けている。そのことを笑う人々もいる。しかし僕には笑えない。

●もうすぐ還暦という自分の年令にあきらかに当惑する村上。彼より弱冠若い私ではあるが、大差ない年令であり、その困惑は私も理解できる。そして、次のような開きなおりに近い達観にも私は共感する。

「(自分の年令に対して)ある種のおかしみのようなものが間違いなく存在しているし、それは考え方によってはまんざら捨てたものでもない、という気がする」

●村上は早稲田在学中からジャズ・クラブを経営していた。最初は国分寺駅前で、やがて千駄ヶ谷に移っている。昼はカフェで夜はバー、というお店。
「食べ物もそこそこ出して客も順調について経営はまずまず」という状態だったらしい。勤勉で我慢強くて体力がある村上だから、死にものぐるいでがんばった成果なのだろう。借金もほぼ消えかけてきた。もうすぐ30才、そろそろ若者とは言えない年代に差しかかったとき、「小説を書こう」と思い立ったらしい。

●それは1978年4月1日の午後1時半前後のこと、ヤクルトVS広島戦の開幕ゲームを神宮球場で観戦した村上(ヤクルトファンらしい)。
一回裏、ヒルトン外野手がレフト線にヒットを放ち二塁に到達したその瞬間に「そうだ、小説を書いてみよう」と思い立ったという。
小説のような話だが、たぶん本当だろう。それから半年で書いた作品がデビュー作「風の歌を聴け」だ。このときからすでに村上ワールドがある。

●もともと小説家になろうという野心はなかったが、無心にこのとき小説というものが書きたくなったという。新宿の紀伊国屋書店で原稿用紙一束と千円くらいのセーラー万年筆を買ってきて、それを資本に小説家へのとびらをたたいた村上青年。

<明日につづく>