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旦過詰め

●昨夜は『堕落論』(坂口安吾)と『学問のすすめ』(福沢諭吉)を読んだ。
読んだとは言ってもイースト・プレスの文庫「まんがで読破シリーズ」のこと。
昨年から奇数月にリリースされることになったこのシリーズは、
・人間失格 ・こころ ・破 戒 ・罪と罰  ・蟹工船 ・羅生門
・堕落論・白痴  ・銀河鉄道の夜 ・戦争と平和 ・斜 陽
・カラマーゾフの兄弟 ・武士道 ・学問のススメ ・赤と黒 ・変身
などがすでに発売中。

●一度は読んで見たかったあの名著、古典が30分、数百円で自分のものになる。それにしても、知識が簡単に手に入る時代になったものだ。
30分のマンガを読んで読んだ気になるのは困ったものだが、マンガをきっかけにして活字を読み始めることになれば結構なことだ。
→ http://www.eastpress.co.jp/manga/

●卵が物価の優等生というが、本も優等生だろう。本が相対的に安くなり、しかもインターネットによって、ほとんどの知識と情報が無料またはそれ同然で手に入るようになった。
喜ばしい限りではあるが、学ぶ姿勢が堕落しないようにしたいものだ。

●学ぶとは、相手から教えを請うことである。

禅には、旦過(たんが)という言葉がある。教えを請う者の決心が本当に固いものなのかどうかを試すための儀式のようなものだ。

道を求めて諸国を巡る修行僧が、夕刻に禅寺にやってきて宿泊し、旦(朝)には過ぎ去るから「旦過」という。これが、修行の決心が固いかを試される最初のステップである。

●通り一遍の応接を受け、宿帳に記載して一泊お世話になる。翌朝、朝食が済んだあとに番茶が振る舞われ、「どうぞご自由にご出発を」と追い出される。

●だが修行僧は宿泊に来たのではない。その寺で教えを請いたいのだ。
だから、玄関の上がり口で低頭したまま入門を請い続けねばならない。
「じゃまだ、じゃまだ」と他の修行僧はぞんざいな扱いをする。

●3日めの朝、追いたては無くなる。ようやくこれで第一関門を突破し、旦過寮(たんがりょう)にあがることを許される。これは外来者用の休憩所、宿泊所のことだ。

●しかし、それから更に決心を試される。
5日間にわたっておつとめと食事と用便以外は立つことも許されず、ひたすら壁に向かって坐禅に明け暮れる。
これがいわゆる旦過詰め(たんがづめ)。
このつらく厳しい期間を耐え抜いた者だけが晴れて僧堂へ入ることが出来、教えを受けることができるのだ。

●教えを請う求道者の姿勢がここにある。