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甲府にて

●講演という仕事は生ものだ。
聴衆の積極的な姿勢や表情に後おしされて、非常に気持ちよくやれたときは言いようのない達成感と安堵感に包まれる。懇親会のビールも格別だし、興がのれば地酒も発注したくなる。

●だが時々、最初からまったく聴く気がない人間が場内にいたりする。
主催者が私に講演料を払い、受講者は無料の場合、聴く気がない人がまぎれ込むのだ。そんな講演会になると、こちらも最後まで気分が乗れない。

●なかには私語を交わしたり、ずっと腕組みしたままあさっての方向を睨んでいる人もいる。そんな態度を見つけると、講演を中断して注意することがある。

「あなたお名前は?それが経営者の受講態度ですか?私から見ると、(態度をマネしながら)こんな態度をされている。興味がないのなら退席してください。こちらも気分がよくないので、講演の内容にまで影響してきます。それは、他の方々や主催者にも迷惑となるはずです」

●残念ながら、昨夜の山梨でもそうした人物が後方に三人いた。

司会者が私を紹介しているときから、三人のうちの一人は真後ろを向いたまま私語を続けている。
講師席から壇上へ向かうとき、「今日も注意しなきゃならないのか」と内心で思っていた。

●だが私の講演が始まると私語をやめて正面を向いた。しかし、腕組みして天井向いて目を閉じている。
「何しにここに居るのだろう」
自己紹介のあと、「Wish List」を5分で何個書けるかを試してもらったときには、三人がそろってトイレへ立った。

●幸いなことに、彼ら三人はトイレから戻ると荷物をまとめて帰っくれた。これで私の注意力をそらすものがなくなったので、その後は気持ちよく話しができ、本領を発揮できたと思う。

●昨夜は講演が終わったあと、「講演会も捨てたもんじゃない」と思うことが幾つかあった。

世話人の方が最後の締めのスピーチで「今日の武沢先生の講演はよくありがちな『感動するいい話』というだけにとどまらず、明日から使える実践の勘どころとツールを与えられたので、非常に得した気分です」とあいさつされた。

●私も彼に答礼した。

「今のそのお気持ちを大切に経営改革に取り組んで下さい。そして、今日の学習と気づきを忘れないようにするためのとっておきの秘訣を最後にお教えしておきます。いいですか、よくメモってくださいよ。それは、帰宅後、すぐに『がんばれ社長!今日のポイント』の購読登録をすることです」

笑いと同時に、「そうだおれも読む」という声があちらこちらであがる。こうして新しい出会いが広がっていくことも講演の楽しみの一つ。

●さらには、すごい経営者と出会って私も大いなる刺激を受けるときがある。昨夜の甲府には、こんなすごい人がいた。

●1941年(昭和16年)生まれのY社長。
東京五輪を翌年に控えた昭和38年、22才で起業。ダンボールリサイクルビジネスだ。
起業する前はサラリーマン。当時の月収は15,000円だったが、Y社長は起業してわずか10ヶ月で300万円貯める。
物価換算すると、今の6,000万円に相当する金額を10ヶ月で貯めることができた。濡れ手にアワとはこのことだ。

●その成功をきっかけにほぼ毎年一社の割合で会社を設立。
今では40社以上の事業を展開するグループのオーナー。
「事業は人なり」と考え、大胆に人に任せる。期待以上にがんばってくれる人がいる一方で、全然黒字にしてくれない人もいる。

「だが、”いかだ経営”でいいんです」とY社長。
いろんな丸太がロープにつながってひとつの”いかだ”ができている。
古い丸太、新しい丸太、よく浮く丸太、沈みがちな丸太がある。全体で浮いていればいいと考えている。

●過去、一番儲かった仕事は大企業の下請けだった。まだ世間に人材派遣という単語もなかったころ、ある上場企業の工場出荷を丸ごとアウトソースされた時は、起業時に300万貯めたときよりももっと儲かった。

●「最近はなかなかそんなに儲かる仕事はありませんよね~」と私が水を向けると、むっとした表情で「そんなことないでしょう」と現在進行形の環境関連事業を語ってくれた。

その目は67才のベンチャー起業家の目だった。

●事業を立ち上げ、軌道に乗せては人に任せる。
マラソンや発明に関するNPOも立ち上げ、中国やニューカレドニアを何度も往復している。お顔がすべすべの67才。
こんな人が甲府に何人もいると分かると、日本の未来を悲観してはならないと思う。

そんな発見ができるのも講演活動のご褒美か。