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1900号に思う

2000年8月1日に『がんばれ社長!今日のポイント』を創刊して2,824
日目の今日、1900号目をお届けすることになった。土日祭日は書かないので、発刊率 67.3% ということになる。

また、2004年末から始めた号外広告もすでに455本書いてきた。それも合算すると2,355本となり、発刊率は83.4%に跳ねあがる。

それ以外に、自社・他社ブログへの投稿や雑誌への寄稿、4冊の自著の原稿なども考慮すれば、毎日一本の原稿を書いてきたのではなかろうか。
文字数にして約600万文字、本にして30冊也。

「よく書いてきたなぁ」と思う。
2000年の夏、「僕もメルマガをやろう」と決意した時には、よもや8年後も続いているなど思いもよらなかった。書くことが自分の仕事の中心になるなど、想像すらしていない。

「最近は休刊しませんね」と時々冷やかされるが、そういえば、数年前まではよく無断で休刊した。

「当然、書けないときだってあるでしょ」と居直っていたが、最近は締め切りを守る。
なぜならば、私は書くために生まれてきたと悟ったから。
書くことが私の本業だし使命でもあると遅まきながら気づいたようだ。

私事で恐縮だが、書くために生まれてきたと悟る以前は、自分のことを何者だと思って生きてきたのだろうか。人は心のなかにあるセルフイメージの通りに振る舞うというが、私のセルフイメージを振り返ってみた。

・10代前半の私 勉強ができてひょうきんなクラスの人気者
・10代後半の私 自信喪失、勉強ができない陰のうすい存在
・20代前半の私 とりあえず就職したものの人生の行き先が分からず、迷える子羊。読書しまくり。
・20代後半の私 社長を尊敬し、社長の気持ちを汲んで仕事するデキル社員。自信完全復活。本が友だち。
・30代前半の私 家族をもち、トップセールスマン目指して日夜セールスに励む。張り切っていた。
・30代後半の私 セールスマネジャーとして成功者っぽく振る舞おうと見栄を張り続けてきた無理ある自分。経済的にとても苦しく、サラ金の常連客にもなっ
た。
・40代前半の私 自信喪失。すべてを失い、廃墟のように何もない状態から気力をふりしぼってコンサル開始。
・40代後半の私 46才でネットと出会い、メルマガ発刊。
読者が増え、収入も回復。自信復活というよりは、今までとはまったく異質の自信が芽生えた。
・50代前半の私 理念と哲学が固まってきた。経営者のために、日本のために私は書く。書いたもので勝負すると悟った。
もう迷ってなんかいない。

・50代後半以降の私・・・??

どのように自分が変わるのか予測不能。
直木賞作家になっているかも知れないし、再び何もかも失って路頭に迷っているかもしれない。何でもこい。

いかなる失敗があったとしても、完全に元の木阿弥にもどるわけではない。むしろ、将来は積極的にいろんなものを捨てていきたいと思っている。
バラモンには、人生を四回生きるためのこんな教えがある。

1)学生期(がくしょうき):学問し修行する時期。
2)家住期(かじゅうき):学生期を終え、結婚して家庭を守りなが ら務めを果たす時期。
3)林住期(りんじゅうき):家長としての務めを果たした後、家族を捨て、財産を捨てて林に住み、生きる目的を考える
4)遊行期(ゆぎょうき):真理を求め、乞食(こつじき)しながら遊行する

一般的には学生期がおおむね20才まで、家住期がおおむね50才まで、林住期が70才までで、そこから先が遊行期と考えられる。

本来なら林住期に入った私は、そろそろいろんなものを捨てていかねばならない時期だが、まだまだ捨てる前に貯め込んでみたいものがたくさんある。

そもそも、バラモンの教えを現代の我々にそのまま押しつけるのには少々無理があろう。
だから都合のよいように今風にアレンジしてみた。

1)第一学生期:20才まで 学校で勉強
2)第一家住期:50才まで 仕事と家庭の責任を果たす
3) 第二学生期:60才まで 第二の人生のための学問と修業
4) 第二家住期:70才まで 人のため(だけ)にとことん働く。そして実はこの時期に初めてお金が貯まる。
5)林住期:  80才まで すべてを捨てて寒村で晴耕雨読
6)遊行期:  寿命まで 真理のために乞食しながら全国漫遊

よし、私はまだ6年修行ができる。もっと勉強して書く力、教える力を磨きたい。