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歴史探訪非凡会

「え、そうだったんですか」とか「へぇ、知らなかった。初めて聞きました」ということが続くと、人はだんだん陽気になってくるものだ。人はびっくりするとテンションが上がるようにできているのだろうか?

たとえば、

・えっ、江戸時代の離婚率ってそんなに高かったの?
・吉原の太夫(たゆう、最上級の遊女)のお値段ってそんなにする?
・えっ、日本は日露戦争に勝っていない?
・明治新政府が考えていた首都は東京じゃなかったの?
・じゃあ、首都候補はどこ。そして誰の発言で東京になったわけ?
・え、そんな理由でペリーの黒船艦隊は浦賀沖に停泊したの?
・日本で最初の造船所が横須賀にでき、今の自動車並みの大産業が出来たのに、その後、横須賀にすその産業が育たなかったのはなぜか?

先週末は東京スペシャル非凡会と題して三浦半島歴史探訪の旅を行った。
15名限定企画で募集したところ、即日満席になったこの企画には、遠くフランスのパリからも日本人経営者が参加された。

ペリーが幕末に来航した時には、すでに浦賀でお店を経営していたという老舗書店『信濃屋』の七代目ご主人・山本詔一先生(57)を歴史ソムリエとしてお招きし、ほぼ丸一日をつかって横須賀・浦賀・観音崎などの史跡を巡った。

山本先生のもうひとつのお顔は、郷土史を研究する歴史家。
歴史家とは、歴史にまつわる講演や執筆などを生業にされている方で、とくに先生のホームタウンの三浦半島を中心に神奈川全域および江戸に関しても、歴史のどの時代にも通じておられるすご腕なのだ。
司馬遼太郎さんの『街道をゆく 三浦半島記』で交友ができ、司馬さんの手紙を大切そうに見せていただいた。

三浦半島といえば歴史の宝庫だ。
我々が巡った順にご案内すると、

・三笠公園(日露戦争の軍艦「三笠」が係留されている)
・浦賀ペリー記念館(ペリー上陸地に立っている)
・料亭小松(海軍御用達の料亭)を玄関から見物
・日本最初の造船所跡
・日本最初の灯台(観音埼灯台)
・ランチ会場でも夕食会場でも山本先生を囲んで歴史談義

教科書に載るような表向きの歴史と、その表舞台の裏側にある人間くさい現実との両面を知ることによって、歴史は誰もがのぞき見したいワイドショーと化する。もちろんバラエティのワイドショーとは異なり、相当ためになる人間ドラマだ。

1.ペリー率いる黒船艦隊が初来日したとき、浦賀水道を通って江戸城ののど仏、江戸湾にまで入り込まず、あえて浦賀沖に停泊して交渉を開始したのはなぜか?

正解:測量図が浦賀沖の所までしかなかったから。下手に突っ込んで座礁して幕府軍に捕縛されたらかえって笑いものになる。
この一回目の来航で小舟をつかって湾内の測量をしており、翌年の来航時には羽田沖まで近づいている。

2.薩長土肥といえば、すべて西日本。その官軍が幕府を倒したあと、新首都を西日本の京都や大阪にしないで江戸(東京)にしたのはなぜか?」

正解:実は大阪にほぼ決まっていた。だが、前島密(まえじまひそか)が新首都に求められる機能として10の条件からなるレポートを政府に提出しており、それに満たす都市として急転直下、東京に決まった。前島の条件のなかに、開国後の新首都には、近くに造船所があること(外国船の補修のため)とあり、当時、横須賀にしか造船所がなかったのが決定的な決め手となった。

3.日本で最初の造船所が横須賀にできた。今の自動車産業並みの大産業が出来たのに、その後、横須賀周辺に関連産業が育たなかったのはなぜか?

正解:民間船舶ではなく、海軍の船をつくることを目的としていたのでエンジンから内装の隅々にいたるまで、全部内製したから。一切、外部発注しなかったために、すその産業が育たず、商業都市横浜や川崎ほどに発達しなかった。

(文責:武沢)

その他、東郷さんと海軍にまつわる秘話や頼朝・義経の確執に関する見解、横須賀にゆかりのある芸能人の話題や三崎のまぐろの話題などなど書き尽くせないので、紹介はこれで終える。私を含めて集まったメンバー全員が大満足。

来年も山本先生にご無理ねがって「続・三浦半島ツアー」を開催したい。今度は、頼朝の鎌倉に迫ってみたいものだ。
時期的には4月19日、20日あたりを予定しているが詳細は未定。ご興味のある方は来年の手帳に鉛筆で書き込んでおいて、このあたりには他の予定を入れないでほしい。
そして、「がんばれ社長!」での告知を見逃さないようにもお願いしたい。