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守拙(しゅせつ)

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若い頃から歴史に興味があり、幕末から明治維新にかけての色々な書物を読んだが、なかでも維新の功労者、西郷隆盛の「敬天愛人」「至誠通天」という言葉が好きだ。「人を愛し、誠意を尽くす」というのは、政治はもちろん、人生において重要な部分だと思っている。色紙に書いた「百術は一誠に如かず」「無心帰大道」ももちろん好きな言葉だ。
(公式サイトより)
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という小沢一郎氏が党首辞任を撤回し、続投を表明する。前代未聞の出来ごとだろう。

小沢一郎公式サイト http://www.ozawa-ichiro.jp/index.php

「政治家として出処進退が分かりにくい」と批判を浴びるに違いない。

そういえば、最近マスコミからバッシングを浴びた人たちは皆、実力がありながらも世渡り下手で損しているように思う。
自分に正直すぎるというか、説明不足なのだ。
亀田父子しかり、沢尻女王しかり、朝青龍しかり。

皆、周囲を黙らせる実力をもっていながらも、生き方が下手なために実力がない人以上に批判される。だったら実力をつけて有名になるのをやめるか、誰にも愛されるようなさわやかな個性を身につけるしかない、ということだろうか。

私はあえて今回、小沢一郎氏(岩手県奥州市、昭和17年5月24日生れ、65才)を応援したい気分でいる。

それは民主党を応援したいという意味ではなく、小沢一郎氏が今の日本に必要な政治家だと思えるからだ。

言葉だけが達者で、いざとなれば力が足りない政治家が多いなか、「あなたが党首に必要です」と多数の政治家に言わせる実力があるということは、それだけで凄いことだ。

「剛腕」とか「壊し屋」とかの異名をもつ小沢氏だが、彼のやってきたことを見ていると、意外に政治家として稚拙であり、損する役回りを演じてきているように思う。自分の立身出世は、まるで考えていないようにも思え、どこか彼が愛する西郷さん的だ。

彼ほどの実力があれば、とうの昔に総理大臣をやっているはずだ。
まるで、総理にならないようにならないように、と選択してきたと思えるほどに稚拙な身の処し方をしてきた。

そういう点で小沢氏は、夏目漱石に似ているかもしれない。

「木瓜(ぼけ)咲くや 漱石拙を 守るべく」

という俳句もある漱石。
守拙、つまり世渡り下手を自覚しながらもそれを改めようとせず、自分の生き方をつらぬくことを信条とした漱石と小沢一郎氏が似ていなくもない。

世渡り上手だけがおいしい目にあうような世の中はおかしいと思う。
ひとりの人間としてそうした損得抜きの木訥な生き方があっても良いだろう。

いかにして分かってもらえるか、共感してもらえるか、だけを考えている現代人が多い中、「分かってもらわなくても構わない。自分だけが分かっていればそれで良い」という生き方もあるのだ。

もちろん政治家として経営者として「守拙」だけでは責任を果たせないが、そうした部分もある程度は必要だと思う。