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Radicalということについて

佐賀・熊本おそるべし。こんなに魅力ある所とは・・・。「来年もまた来る」と2008年版の手帳に書き込んだ。

先週は福岡・熊本で非凡会。そして週末を利用して熊本・佐賀をひとり旅した。今回の佐賀は「唐津くんち」と「佐賀城本丸歴史館」の見学がメイン。

唐津くんちは博多・長崎と並んで日本三大くんちと称される。今回の唐津を見たことですべての「くんち」を制覇した私だが、今回は見物時間がとても少なかったので、来年はじっくりと訪れたいと思う祭りだった。まつりは血がさわぐから大好きだ。

佐賀といえば、幕末において薩長土肥を中核とする官軍が徳川・江戸幕府を倒した。

薩長土肥とは、薩摩藩(鹿児島県)、長州藩(山口県)、土佐藩(高知県)、肥前藩(佐賀県) であり、特に佐賀藩中興の祖、10代・直正(閑叟)の代で隆盛を極めた。

「葉隠(はがくれ)」のおかげなのか、教育と規律ある藩風で、あの吉田松陰も賞賛の辞を日記にしるしている。

佐賀城は焼けたが、城趾に建てられたのが「佐賀城本丸歴史館」。
こうした記念館としては異例とも思える、「入館料無料」、「夜8時まで営業」を貫いているのだ。

私は閉館間近のおそい時間に入った。誰もいなくなって静まりかえった館内を歩いていると、自分が鍋島閑叟になった気分だ。

唐津くんち
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E6%B4%A5%E3%81%8F%E3%82%93%E3%81%A1
佐賀城本丸歴史館 http://sagajou.jp/

私はひとり旅が好きだ。一人だと内省的な気分になれるし、歴史上の人物と対話できるような気もする。とはいっても、詳しく見て回りたい時には地元タクシー会社に電話し、歴史に詳しい人に観光案内をお願いすることもある。

今まで、青森のMさん、高知のSさんというすご腕ドライバーに完璧なガイドをしていただいた。こうした人を各県に作ってくると、日本は俄然せまくなる。

運転が上手いのはもちろん、歴史に詳しく、地元育ちであって、郷土に誇りと愛着をもち、お客を気づかってくれる優しさがあって、尚かつ話し上手な運転手、となると極めて少数派だ。ほとんどいないと言っても良いが、私は幸運な方で、今まで二人にもであってきたわけだ。

そして今回、熊本で遂に三人目の方と出逢った。
私と同世代の女性でTさんと名のる。一般的な観光ルートを案内できるのは当然としても、女性ならではのサービスがある。
休憩に、と美味しい太平燕(タイピーエン、中華風はるさめスープ)のお店へ案内してくれたり、地元につたわる民話や童歌などを唄ってくれる。これがまた、ジーンとくる。

もちろん熊本城には毎月登っているというくらい清正公(地元では「せいそうこう」を略して「セーソコさん」という)が大好きでそうだし、宮本武蔵が「五輪書」を書いた霊巌洞(れいがんどう、熊本市の西方、金峰山麓にある洞窟)の往復では地元に伝わる武蔵秘話をたっぷり聞かせてくれる。

「そこも見たいです」「そっちにも回ってください」と、ついつい予定時刻を大幅にオーバーしてまで熊本を見て回った。

おっと、「がんばれ社長!」は旅番組ではない。本題に入ろう。

今回の旅では「Radical」ということについて考えさせられた。

福岡も熊本も佐賀も、かつての雄藩はいずれも「Radical」なのだ。
三省堂web辞書によれば、「Radical」(ラディカル)とは、過激な、急進的な、という意味がある。一方で、根本的な、徹底的な、という意味もある。
要するに、根本的になるということはある意味、過激なことなのだ。

昔、歴史の授業で秦の始皇帝の焚書(ふんしょ)があったことを習った。秦の始皇帝は紀元前213年、思想統一のための焚書を行った。
その内容は、次の通りであった。

・秦以外の諸国の歴史書の焼却
・民間人は、医学・占い・農業以外の書物を守尉に渡し、守尉はそれを焼却する
・30日以内に、守尉に渡さなかったならば、入墨の刑に処する
・法律は、官吏がこれを教える(民間の独自解釈による教育を禁じると言うこと)

というものであった。支配者による思想統一のための焚書は批判されるべきものだ。

だが逆に、なぜ焚書するほどに書物を恐れたのかを考えてみたい。
儒教の書物や諸子百家の書物も燃やされたとされる焚書。儒教といえば孔子の論語に代表されるように、人がいかに生きるべきかを説いた根源的な本である。
決して革命書ではない。
なのになぜ儒教などを恐れたか。

国民が根源的なものに目ざめるということは、王朝支配の悪政の部分にも気づくということ。
「なにか変だ、やっぱりおかしい、立ち上がろう」と過激(Radical)な行為に走る原動力になるものは根源的(Radical)なものなのだ。

九州の雄藩はもちろん焚書とは無縁だが、藩校を中心にしっかりした教育的風土と教育プログラムがあった。

特に佐賀・鍋島家では、「葉隠」があり武士の心得が日常生活にいたるまで厳しく取り決めされている。

そのせいだと思うが唐津駅から唐津城に向かう道中、藩政時代の気分が色濃く街並みに残っている。空気がピーンとしているのだ。

そんなことを考えながら九州を回った。

会社経営に迷ったら「Radical」になってみよう。