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公憤と私憤

友人とポーカー。

「ベット」
「ベット」
「オールイン」などとやって久しぶりに夜遅くまで遊んだ。

ポーカーの「オールイン」とは手持ちのチップすべてを賭けること。
相手にこれをやられると、こちらは生半可な手では勝負しづらくなる。
なかには、ブラフ(脅し)でオールインしてくる相手もいるが・・・。

安倍総理の「職を賭して・・」発言が波紋を呼んでいるが、安倍さんもテロ対策特措法に「オールイン」した訳だ。
はたしてこの法案に職を賭すほどの価値があるものかどうか。

小泉・安倍と続く政治手法を見ていると、リーダー自ら「これがだめだったらもうやめだ!」と開き直りとも脅しともとれるオールイン政治が流行しているようで少々気になる。

ある会席で、「政治家はけしからん、皆が皆、自分の立身出世のことしか考えていない。安倍にしたって小沢にしたって、要は、自分が頂点に立ちたいだけだ」と大そうな剣幕で隣席の社長が吠えていた。

矛先がこちらにも向いて、「武沢さん、黙ってないで、どう思う?」と来たので、ビールでのどをしめらせてからこんなお話をした。

・・・
私はあなたほど今の政治情勢に詳しくないが、そもそも政治家に野心は必要なものであって、自分の出番を虎視眈々と狙うこと自体は、悪くない。むしろ国民として歓迎すべきことだと思う。

ただ問題は、野心の源がどこにあるか、ということだ。
国の将来を憂いたり、サラリーマンならば、会社の将来を憂いて “このままではダメだ” と立ち上がることを「公憤(こうふん)」という。
それに対して、おのれの富・権力・名誉・名声を欲してポストを狙うのが「私憤(しふん)」。
もちろん政治家なのだから「公憤」で仕事をしてもらいたいが、私は安倍・小沢の両者から「公憤」も「私憤」も伝わってこない。
・・・

別の人から質問が出た。

「じゃ、武沢さんはあの二人にはどんな “墳” を感じますか」と聞かれ、「そうねぇ、あえていえば、家憤か党憤」と答えた。

愛する家族に見てもらいたくてがんばるのを「家墳」とするならば、安倍は父に、小沢の場合は大臣経験者である父か、あるいは、”おやじ”と敬慕した田中角栄に対するお礼返しか。

「党憤」とは、自分の代で野党に政権を渡したくない安倍と、そろそろ俺たちにも政権を取らせろよ!という小沢の党としての事情。

だが、厳密にみれば、「家憤」も「党憤」も私憤の一部と考えられる。

「憤」で立ち上がるのはビジネスピープルだって同じこと。

社内を見渡して、次のリーダーは私に任せろ!とポストを狙っている社員がたくさんいれば頼もしい。
もし、誰ひとりリーダーシップを取ろうとしなければ、それは会社の危機である。

出世したい社員を何人抱えているかが勝負。

当然、社員の出世欲も二つに大別できる。私憤と公憤だ。だが、それを見抜くにはたったひとつの質問を発するだけでよい。

その質問とは、

「仕事で何がどうなればうれしい?」と聞いてみる。

上位五つくらい聞いてあげよう。その内容によって、ある程度、私憤か公憤かが読み取れよう。

給料が上がればうれしいとか、休みが増えればありがたいというようなことしか上げられない人物はリーダー不適格。

売上が倍になればうれしいとか、うちの会社の知名度がもっと上がればうれしい、というような項目を列挙する社員をリーダーに育てていこう。

きっといるはずだ。