未分類

言葉の魔術師

昭和12年静岡生まれ。本名・深田公之(ふかだひろゆき)こと昭和の大作詞家、阿久悠さんがこの8月1日にお亡くなりになった。享年70。

5,000曲に及ぶ作品があり、「また逢う日まで」や「勝手にしやがれ」など思い出深い名曲が多いが、個人的には彼が42の時に作った「舟歌」がMyベストだ。
阿久の歌詞と、浜圭介の曲、それに歌い手の八代亜紀とのコラボレーションによって、あっという間に「舟歌」の世界に引き込まれてしまう様子は、まさに芸術。

舟歌 http://www.yooy.jp/hunautayasiro.htm
阿久悠オフィシャルHP「あんでぱんだん」 http://www.aqqq.co.jp/

作詞とは、歌にあわせて詞をあてはめること。たまに詞が先にあって楽曲が後から作られる場合もあるが、大半は詞が後だという。
作詞は言葉の芸術だ。

江戸時代は教養の時代でもあり、七言絶句(しちごんぜっく)といわれる四行×七文字、合計二八文字の漢字で我が思いを表現できる素養が多くの同時代人には備わっていた。
まったく名もない人でも、すらすらと作詩できたという。

戦国武将として最後まで生き残った伊達政宗は、三代将軍・家光の時代まで生きている。仙台は寒いので、江戸や京で暮らしながら彼は次のような七言絶句を残している。

・・・

『馬上少年過、世平白髪多、残躯天所赦、不楽是如何』

読み方:馬上 少年過ぐ、世 平かにして白髪多し、残躯 天の赦す所楽しまずんば是如何

意味:自分は若いころから馬上で歳月を過ごした。非常に忙しかった。しかし、平和な世となり白髪が目立つようになった今、自分はなすこともなく月日を楽しんでいる。きっと天も、この楽しみを許してくれることだろう。
・・・

自分の人生を四行で表すことができるのならば、自社の未来を四行で表現できるはず。俳句や作詩でも構わない。思いが凝縮され、簡潔に表現されていることが肝心で、冗長な文章ではいけない。

ある若手経営者がしょんぼりしていた。理由をたずねると、「尊敬している経営者に笑われた」という。なにを笑われたのかというと、彼が一生懸命作っていた経営計画書を「そんなの言葉の遊びだ」と、一笑に付されたというのだ。

私は彼に言ってあげた。
「なにが遊びだ、って言ってやれ。確かに言葉が相手に伝わらなければ、単なる言葉の遊びになるかも知れないが、うちの場合は、相手の心深くに入り込むことができる言葉の魔術なんだと。誰がいかに発するかによって、言葉は、遊びにも魔術にもなるんだって」

ヨハネの福音書の冒頭に「初めに言葉あり」とあるが、言葉づくりに経営者はもっともっと命をかけるべきだと思う。