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刀を抜かない大将

先週末は山梨県で甲州非凡会を開催。株式会社天鳥(あまどり、代表・志村信社長)の迎賓館での非凡会は、少人数ながら時間を気にせず、誰に気兼ねすることもなく、じっくりと経営について語り合うことができた。

山梨・甲府といえば武田信玄。

NHK大河ドラマの影響と夏休み最後の週末ということもあって、観光客がドッと押し寄せていた。
甲府駅前に作られた記念館「武田信玄博」は大河ドラマにちなんで建てられたもので、武田信玄と武田家のことが短時間で理解できるテーマパークだ。ここで興味深い記事を見た。

信玄には「生涯、刀を抜かない」という誓いがあったというのだ。
そのきっかけが若いときのこんなエピソード。

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信玄は若い時、学問の師である快川国師を驚かせようと、衝立の陰に隠れ、瞑想を始めた国師の鼻先三寸にいきなり斬りかけた。
いかに高邁な禅学の師でも、驚いて悲鳴をあげるだろうと読んでのいたずら心であった。

ところが、快川は白刀が振り下ろされても泰然自若。

「一国の総大将たる者は、自らの刀に頼るようでは、其の器量はたいしたものではない。将来、京にのぼり、全軍を指揮しようという心構えがあるのならもはや刀のことなど、これからは考えるな」と論した。
その言葉を聴き、自らを恥じた信玄は、それ以後、自ら刀を抜こうとは決してしなかった。(甲陽軍艦より)
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いかがだろう。刀を抜かない戦国大将ってそんなにいないはずだ。

信長も秀吉も家康も、みな刀を抜いて戦っている。それどころか、上杉謙信など、自ら刀を抜いて敵陣奥深くまで斬り込んでいったとされる武将だ。

信玄と謙信の川中島の合戦は、12年間にわたって5度行われているが、その4度目。川中島のほぼ中央の八幡原において、謙信が信玄の御座所へ単騎駆けつけ、三太刀切りつけこれを信玄が軍配団扇で受けたという話は講談や映画などでもおなじみ。
これは史実ではないという説が有力なのだが、いずれにしても、信玄と謙信の価値観とスタイルの違いが表れていておもしろい。

刀を抜くべきか否か、どちらが正しいかは一概に言えないが、自らの信条を貫くことが肝心。

トヨタ自動車の販売の神様といわれた神谷正太郎は、自分では一台も車を売っていない。
車が売れる仕組みを作ることによって販売の神様と称されるまでになった。

ラスベガスなどでのカジノビジネスで成功するためには、経営者は自分でカジノをやらないことだと言われる。
実際、日本で “パチンコ王” といわれるマルハンの韓会長は、「パチンコ人生50年だが、実際にパチンコをしてみたのは10回にもならず、それもせいぜい千円程度だ」と笑う。

さて、あなたは信玄派、それとも謙信派?