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恒産と恒心

「君が禁煙さえしてくれたらすぐに部長にする」という異例の内示を出した会社がある。

この内示をもらった本人にとっては、おそらく何百万という単位で年収がアップするのだが、この内示をもらって数ヶ月、いまだに煙草がやめられないらしい。

そこで業を煮やした社長が、「あなたのご主人を『部長』と呼べる日が一日も早く到来することを願っています」と奥様宛にハガキを出したそうだが、その後の反応やいかに。

私はこの話を聞いて、以前の「がんばれ社長!」で書いたこの記事のことを思い出した。

2002年2月1日号『価値ある目標とは』
http://www.e-comon.co.jp/magazine_show.php?magid=486

つまり、タバコをやめたら○○をプレゼントするというのではなく、先に○○をプレゼントするから期限内にタバコをやめてくれ、というお願いの方がうまく行くことが多いと思うのだ。

だが、どちらにしたって行為をお金で買うわけだから現金な話ではある。お金があってもなくても、動くべきときに動くのがサムライだと言いたくなる。お金でしか動かない体質になると、お金のためなら何だってやる、という人間ができあがってしまう。

お金と心について考えていたら、孟子の名言「恒産なくして恒心なし」を思い出した。
「恒産なくして恒心なし」とは、安定した収入がないと、安定した心を保つことはできない、という意味である。

その有名な部分だけが一人歩きして引用されているが、孟子の発言の全体はこうだ。
「恒産無くして恒心有るは、ただ士のみ能(よ)くす、となす。民のごときは、則(すなわ)ち、恒産無ければ因(よ)って恒心無し」

つまり、士(武士、サムライ)は恒産がなくても恒心がある。だが、一般の人たちは恒産がなければ恒心が得られない、という意味なのだ。

民衆は、ややもすれば、本性を忘れて善を離れようとしがちである。
だから民衆に対しては、まず生活の条件を整え、貧困による堕落を予防することが必要であると孟子は考えた。そして、人民が安定収入を得られるように、井田(せいでん)法を基調とした耕地の均分制度を制定したのだ。

恒産なくして恒心なし。

注目したいのは、恒産の「恒」という文字。「恒」とは、常に変わらぬという意味。安定した生活が続けられるような収入の保障が必要だ、という意味なのである。

さてそこで会社経営。

社員が皆、「士」であれば、仮に安定収入がなくても理念や理想、ビジョンのもとにはせ参じてくれるだろう。だが、一般社員の多くは、「士」ではなく「民」である。民には、まず「恒産」を保障しなくてはならないのだ。

理念やビジョンへの参加を要求したければ、「恒産」を約束しよう。