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高知にて

四国の約40%が高知県である。東西に広い。
高知のおへその位置にある高知市。はりまや橋から竜馬の像が建つ桂浜までタクシーでおよそ20分。
竜馬の顔は室戸岬に建つ盟友・中岡慎太郎像を見ているとも、その奥にあるアメリカを見ているともいう。

「竜馬ばかりがなぜもてる、どっこい中岡慎太郎」という慎太郎の内面を唄にしたものまであるそうだが、たしかにイケメン度では中岡の方が相当上だ。
人の魅力は顔じゃない、という好例が竜馬か。

その桂浜から慎太郎像のある室戸岬までは車で東に走って2時間。
同じく桂浜から西の足摺岬までは3.5時間かかるというので、単純計算しても高知県の東西を横断するには最低でも6時間はかかるということだ。

私にとって高知は三度目だが、10年ぶりなので昨日の休日を利用して、タクシー半日観光をした。
運転手のSさんが「今日はこの冬一番の寒さじゃきに」という。
たしかに風は強いが、高知城内の桜の一部はすでに開花しはじめており、コートがいらないほどに暖かい。

「これでも寒いのですか?」と聞き返そうとしたほどに暖かいのだ。

東京の都電と同じく、高知でも「とでん」が走っているという。
土佐電気鉄道が運行するから略して土電(とでん)なのだ。
イギリス製でリスボン市電で使っていた車両も走っているほか、ドイツ・オーストリアの車両なども車庫で見学できるので、市電ファンにはたまらないだろう。

ところで、「高知」という地名の由来について。

1603年に本丸と二の丸が完成し、山内一豊が入城したころの地名は、高知ではなく「大高坂山」だった。
それを改名しようと一豊は、ちょうど城が南北に流れる河にはさまれる場所にあったところから「河中山」(こうちやま)にした。
ところが、しばしばこの河が氾濫し、安定した城下町経営ができないので、竹林寺の空鏡上人に頼んで改名してもらったのが「高智山(こうちやま)」であり、それが今日の「高知」になったという。

高知城は藩政時代の木造天守閣が残る全国12城のひとつである。中でも本丸内の建物がほぼ当時のままで残っているのはここ高知城だけである。

12城とは、高知城、弘前城、松本城、彦根城、丸岡城、犬山城、松江城、姫路城、備中松山城、松山城、宇和島城、丸亀城の12だ。
私は9城を制覇しているのであと三つがんばって回りたいと思った。

四国で初めて開催する非凡会に土佐高知を選んだ。それは、竜馬を敬愛するからであり、「四国で最初の非凡会は高知」と心に決めていた。場所も高知城が見える会場でやると決めていたから「高知城ホール」にした。参加者は4名と、記録に残る低集客だったが、その分濃い交流ができたので気にしていない。

予定通り二時間の講演を行い、全員で二次会に繰り出すことにした。
めざすは地元でも人気の居酒屋「D」だ。歓楽街をしばし練りあるき、到着。

メニューは覚えていないが、鰹のたたきとサバのたたきから始まって次々に出てくる皿はすべて土佐の黒潮であがったばかりの魚たち。
鰹のたたきはポン酢だれのものと塩をまぶした「塩たたき」との二種類がでてきた。とくに後者のほうは大変珍しく、鰹の鮮度が良くないと成立しない料理だ。スライス生ニンニクを乗せて食べると絶品だ。

新鮮な鰹の表面をわらでこんがり焼いたものがたたき。新鮮なのになぜ焼くのかというと、皮が焼けた香ばしさと、その真下にある脂分の旨み、赤身部分のもちもちした食感がブレンドされ、口中だけが一足お先に春を告げる。そこに辛口の地酒を送り込んでやると、もう、気分は「高知バンザーイ!」だ。
自分の住んでいる場所に誇りを持っていない人が多いが、高知の人は、

「がいに他の街の魚は喰えんし、寒くてやっちょられんぜよ」となる。

今回は回れなかったが、「日本最後の清流」と言われる四万十川があり、夏には何でもありで「よっちょれ よっちょれ」のよさこい祭りがある。

「高知が気に入りました。また、夏に来ます」と非凡会参加者たちと約束した。