未分類

粋と無粋

友人がテレビのトーク番組に出演した。生放送ではなかったが、彼にとっては不満足な収録だったのか「もう懲り懲り。二度とテレビには出ない」とのメールをくれた。

実は私も三年ほど前にテレビ出演を打診されたことがあるが、論客タイプではない自分を知っているので即答で辞退した。

やっぱりテレビ受けするのは軽妙に話せるキャラクターだ。ましてやトーク番組では、政治評論家やエコノミスト、弁護士などがめいめい勝手に自説を論じるので、テレビを見ている方は飽きないし、いろんなことを良くしっているなぁと感心してしまうこともある。
そんな輪の中にゲストスピーカーとして招かれてしまったら、落ち着かないに違いない。

さて、今日は次男(中学生)の卒業式だが、

高校を卒業するまではアルバイトを禁止しているところが多い。それは学問に専念させたい学校側の配慮もあるが、子どもに世俗的な知識や経験を今の段階ではあえてさせないようにとの配慮もある。

幼くして世俗に精通すると、純粋な学問が止まるのだ。
子どもだけでなく大人でも同じだろう。世俗に精通しすぎた大人は、純粋さをなくしがちだ。

テレビで成功しているタレントや評論家の多くは、世俗のできごとに精通した口達者が多い。
実社会で専門家や経営者として成功している人がそのままテレビの世界で成功するとは思えないのだ。

世間話や座談が上手で芸能・文化・サブカルチャーの話題も豊富という人が立派な経営者になるわけではない。むしろ、自分の専門外のことに関してはほとんど何も知らない人の方が好ましく映る。

お笑いコンビのナインティナインの人気番組「ゴチになります」は、高級レストランで設定金額ピッタリになるように出演者が好きな料理を食べる番組だ。
設定額から一番離れてしまった人が全員分の料理代を自腹で支払うはめになる。
自分も出演者になったつもりで一品一品の料理値段を当てるのが普通の楽しみ方だろうが、私は一風変わった楽しみ方をしている。

それは、ゲスト出演者がどれだけ食事の料金相場を知らない人なのかを見る楽しみだ。
むしろ、相場をまったく知らない人の方がセレブ的で豪快な役者という感じがして好ましいのだ。

その点において、毎回上位にくるレギュラーの国分太一や矢部浩之には、大物の香りがしない。相場を知りすぎている。
ゲストの石坂浩二も物知りすぎてつまらなかった。

ゲストで大物だった人といえば、
大地真央、和田アキ子、近藤真彦、長瀬智也などは堂々たるビリっぷりで自腹決済していたし、あやうく自腹は免れたものの星野仙一も値段を知らない人として好印象だった。

ゴチになります7 結果
http://www.ntv.co.jp/gurunai/restaurant/gochi_cont07.html

値段を知らないことが自慢なのではない。物の値段に代表されるように、世間常識に染まっていない(ようにみえる)ことが魅力なのだ。

昔、遊郭には特有の掟が存在した。

「傾城(けいせい、おいらんのこと)は金でかふものにあらず、意気地にかゆるものとこころへべし」とか、
「金銀は卑しきものとて手にも触れず、仮そめにも物の値段を知らず、泣き言は言はず、まことに公家大名の息女の如し」などの教えがあったのだ。

花魁は、いかに金持ち客であったとしても、野暮な客は幾度となくはねつけたという。金ではなく、知識でもなく、意気地や粋(いき)というものがどれだけ分かっているかが人の価値を決める世界が遊郭だったのだ。

遊郭に限らず、粋な人は好かれるし、無粋な人は嫌われる。

本当は詳しく知らないことまで「自分は知ってるぞ」と声高に話すのはテレビタレントにまかせておいて、現実社会では粋(いき)でありたいもの。
それには、知らないことを恥とせず、知っていることまで知らないふりをするくらいでちょうど良い。

粋とか意気地とはそういうものだと思う。

願わくは、『「いき」の構造』のような名著がもっと読まれてほしい。昭和五年の論文とは思えないほど歯ごたえある文章でスラスラと読み進めることができないのが難点だが、一読の価値は充分すぎるぐらいあろう。

「いき」の構造 http://www.amazon.co.jp/dp/4003314611/