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続続・勝呂八郎の生きざま

<一昨日・昨日のつづき>

勝呂の働きで事務所の業績は急伸し、救世主のような扱いをうけた。「所長と自分は一蓮托生」自分が生活できるのは所長がいてくれるおかげである。勝呂八郎は本気でそう思ってきた。だから貯金のすべてを所長に差し出すことも平気だった。不得意だと思っていた営業もやってのけ、事務所を黒字化させた。そのあと保険を売って高収益の税理士事務所にした。所長の所得の多さに比べれば自分の給料はかなり安い。それでも生活基盤が安定したので勝呂はそれで満足だった。

だが、所長の方はそうはいかない。自分が地元の名士になると、勝呂の存在が目障りになりはじめた。露骨な追い出しにかかったのだ。自分が所長から不要な人間と思われている。そう感じたとき、勝呂は引き時だと思った。翌日辞表を提出した。辞表を受け取った所長はまっさきにこう言った。

「うちのお客さんを取っていくのか?」

自分が開拓してきたお客に愛着があった。しかし、お客さんを奪っていくような真似はしたくない。勝呂の口から自分でも意外な言葉がでた。

「いえ、独立したあとも、私は税務と会計は仕事にしません」

所長は驚いた。言った本人も驚いた。懸命に勉強して税理士の資格をとったのに、税務会計を仕事にしないとは。「何を始めるつもりなの」「コンサルです」「え?」

それが経営コンサルタント・勝呂八郎のスタートだった。懇意になってくれた客先をあいさつ回りした。「私は退職しましたが、いままで通り帳面と税金申告は事務所が責任をもってやりますから安心してください」するとお客が心配してくれた「勝呂さんはこれから何をするの?」「小さいコンサルタント会社をつくって営業のやり方や社員教育のやり方なんかを教えられるようになりたいと思ってます」「へえ、そうなの。困っている会社が多いから、あなたはきっと一杯相談される人になると思うわ」

商店や小さい会社の経営者が困っていることを経営者と一緒に考え、ときには社長や社員と一緒に現場に入って汗水ながした。特に製造業と飲食業のお客が多くなっていったことから、彼らが「勝呂八郎から学ぶ会」を設立し定例勉強会を開いてくれるようになった。略して「SMK」と言ったが、その評判は仙台中に鳴り響き、所長が敵情視察に訪ねてきたこともある。

話をおもいきり端折る。
独立から35年経った。勝呂の会社は東京の銀座に自社ビルを構え、地元東北にも支社が複数ある。勝呂は仕事一本で生きてきた。顧問先に教えている内容を自社でもそのまま実践し、成功した。趣味も娯楽もなにもない。一杯50円のカレーライス代金を払うときに鼻で笑われた悔しさが今も忘れられず、それがバネとなって娯楽遊興から遠ざかって生きてきた。今なおそうである。

唯一、年末年始にかけて夫婦で海外旅行に出かけることだけが遊びと言えば遊びだ。昨年末、ニュージーランドのネルソンビーチで夕陽を見ていた勝呂夫妻にレモンティの売り子が近づいてきた。一杯300円だという。「もったいない。ホテルに帰れば無料の水がある」そういう勝呂に妻がいった。「お父さん、もうよろしんじゃない?」「なにが?」「私たち、一生かかっても使い切れないお金ができましたのよ」「……」

食堂で笑われてから半世紀経った。

「粗にして野だが卑ではない」 そういう人生を貫けそうであることに勝呂は安堵しつつも、卑になるのはお金だけではないと考えている。夢だ。夢が無くなると人はおのずと卑になる。70になっても賭けるべき夢がある、そんな古稀になるべく、勝呂は今年ある大事業に挑もうとしている。成功するまで5年かかるか10年かかるか分からない。誰もやったことがないクラウド関連事業だ。会社の社長職を譲ることはあっても、現役の事業家として冒険を続けることに終わりはない。それが勝呂八郎の生きざまである。

<終わり>

これは実話ですが、ご本人も関係者もご存命であり名誉を保つために、職業・地域・年齢などは変えてあります。「SMK」「勝呂八郎」などで検索しても無意味です。(武沢)