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勝呂八郎の生きざま

「”粗にして野だが卑ではない”という言葉が好きなんだ。僕自身が粗野かもしれない。だけど、決して卑屈じゃないぞ、という気持ちなんだよ。そういう人生を歩んできたつもりだ」そう話すのは勝呂八郎社長(すぐろはちろう、仮名、70歳。以下「勝呂」)。九人兄弟の末っ子だ。

「粗野と卑屈の違いは何ですか?」と私が聞いた。すると、「他人様がみれば似ているかもしれないが、本人の心が独立しているか否かの違いだよ。誰かに自分の支配を委ねていれば卑屈となる」と勝呂。

勝呂が16になったとき、家が貧しいので親元を離れて暮らすことになった。東北の山間部の安アパートは猛烈に寒い。安い給料で燃料費も節約せねばならなかった。食べ盛りで腹いっぱいの米を食べたいがその金もない。安い食パンを買ってきて砂糖をかけて夕食にした。爪に火をともす極貧生活をおくりながらもコツコツと50円貯めた。貯蓄というよりは、米を食べるための貯金だった。

当時、50円あれば一杯のカレーライスが食べられた。町の食堂に行って刺激的な香りと、とろみのある食感を堪能した勝呂。「あぁうまい。真っ白い米のメシにカレーを乗せて腹いっぱい喰う。この感覚は世の中で最高のものかもしれない。でも、次に食べられるのはいつになるかなぁ?」そう思いながら勝呂はレジへ向かった。母が作ってくれた巾着にお金を入れてきた。一円玉ばかり50枚をレジ台の上に並べた。

そんな勝呂の様子をみて「ふん」と女店員が鼻で笑った。顔を見あげると勝呂より三つ四つ年上だろうか。彼女は鼻では笑いながらも目は笑っていなかった。「何してるの、この子」と冷ややかに見下していた。とっさに「ごめんなさい」勝呂は謝り、同時にすごく惨めな気持ちがこみあげてきた。「お金がないと人間というのは自然に惨めな気持ちになる」ということをこの時しみじみと感じたものである。

そうした悔しさ、惨めさを若いうちに経験したおかげで、「もう二度とお金の苦労はしない」と心に決めた。収入の中からやりくりする生活をはじめた。ケガや病気などで予期せぬ出費があっても動じないように貯金をした。本を買うお金がないので学問は耳学問が中心になった。一冊のノートに人から聞いた話や、図書館で借りて読んだ本のポイントを記録するようにした。毎日の入出金の記録も帳面につけたので、数字やお金に強くなった。やがて税理士事務所で働き始め、何年かして税理士資格も取った。

ある日、所長の様子がおかしいことに気がついた。いつも月末になると行き先を言わずにどこかへ出かける。職員のひとりが所長のあとをつけた。所長は途中で昼食をとったあと、消費者金融に入っていった。そこで幾らかの借金をしてそれで職員の給料を払っていることがわかった。

勝呂はそれを聞いて「この事務所が倒産したら自分が働くところがなくなる。それは困るので何があっても所長と自分は一蓮托生だ」と、何年かかけて貯めた60万円を全額おろしてきた。

次の日、「所長、これを使ってください」と申し出た。封筒の中味をみて所長が驚いた。「こんな大金どうしたの?」「僕の貯金です。それで全部です。でもどうぞ使ってください」所長はさらに驚いて「本当に使わせてもらっていいの?返済期限は?金利はどうすればいい?」と興奮気味に聞いてきた。

勝呂は言った。
「そのお金は所長に全部差し上げますので事務所のために使って下さい」所長は勝呂を見あげながら封筒を伏し拝んだ。「君は僕の一生のパートナーだよ」

そのときは所長もウソを言うつもりはなかったはずだ。

<明日につづく>
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このお話しは実話ですが、ご本人も関係者もご存命であり名誉を保つために職業・地域・年齢などは変えてあります。