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一に習慣、二に習慣、三四がなくて五に・・・

習慣は立派なのに成果はガタガタ、という人を見たことがない。反対に、習慣はひどいのに成果が立派という人も見たことがない。良かれ悪しかれ習慣と成果は正比例するものである。そして良い習慣を継続すれば人格が練り上げられ、顔つきが引き締まる。

「より良い習慣を学ぶことが万事である」とまで断言したのはスイス人の作詩家・アミエルだ。正確に書けばこうなる。

「人生の行為に於いて、習慣は主義以上の価値がある。何故かといふと、習慣は生きた主義であり、肉となり、本能となった主義である。ある者の主義を改造するのは何でもない。それは書物の題名を変えるほどのことに過ぎぬ。新しい習慣を学ぶことが万事である」

習慣のもつ力と天性の才能とを比較すると、どちらが大きいか。おそらく誰もが同じ結論に達するだろう。イギリスの政治家ウエリントンは「習慣は性質の 10倍の力を備えている」と言っているが、それに対する反論を聞いたことがない。

同じくイギリスの詩人、ジョン・トライデンは習慣の本質についてこう語る。「はじめに習慣を作るのは私たちだが、その後は習慣が私たちを作る」

ドラッカーも同様のことをビジネスに当てはめてこう表現している。「成果をあげる人とあげない人の差は、才能ではない。いくつかの習慣的な姿勢と、基礎的な方法を身につけているかどうかの問題である」

しかし残念ながらわれわれの本姓は良い習慣を受け入れたがらない。ゲーテは「われわれの本性は、怠惰へ傾いている」と言う。しかし克己心を発揮すれば、怠惰に流されずに済む。ゲーテの言葉を続ける。「われわれは、活動へと心を励ます限り、その活動の真の悦びを感ずる」

怠惰は恐いものだ。どれだけ恐いかというと、「怠惰ほど有害で致命的な習慣はない」とジョン・トッド(米・牧師、作家)。「それにもかかわらず、これほど身につきやすく、断ちがたい習慣もない」と続けている。

では、どのような習慣を身につければ良いのだろうか。それはカント(独・哲学者)が教えてくれている。「努力で得られる習慣だけが良い習慣といえる」つまり、努力せずに得られる習慣の多くは悪癖に属するものなのであろう。

だが、和田秀樹氏(医師、作家)は、悪癖もコントロールされたものであれば、有効活用できると説いている。「禁欲するよりも、好きなことをやったことに対して多少なりとも後ろめたい気持ちをうまく使って、ちゃんと勉強時間、仕事時間をつくった方がいいということだ。やりたいことを我慢しないでやるから、逆に生産性が上がるといっても過言ではない」

2015年は、より良い習慣を学び、実践しよう。昨日までできないと思いこんでいた新しい習慣を易々とやってのけている自分をみると尊敬の念が芽生える。それが自尊心であり、やがて自信につながっていく。

最後に、新しい第一歩を踏み出すとき、この言葉を覚えておこう。
「人間の強い習慣、嗜好を変えるのは、さらに強い欲望だけである」
(英・旅行家、マンデビル)