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ツノムラ物語 その3

Rewrite:2014年3月26日(水)

ツノムラ物語も今日で最終回とする。さっそく社員の集団退職事件から。

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それは平成5年の頃だ。苦境を脱して3年が経過していた。新しいスタイルの郊外大型店を次々に受注し、その知名度は全国レベルとなっていた。ツノムラは、書店業界の新時代を切り開くことに貢献したのだ。

しかし、そうした好調ムードに水をさす出来事が平成5年に訪れる。それは、突如として社員が辞め始めたのだ。一流の設計士になりたい、という夢に賭けて津野村社長と歩んできた中堅幹部を中心に、一年間で4割もの社員が退職した。退職理由ははっきりしていた。それはツノムラが、書店業界に特化したことによるものと、残業の急増だ。

「受注競争に負けるよる辛いのが社員の退職だ」との思いをもつ津野村にとって、自らを否定されるような辛い日々が続いた。

元来が、対話を尊重するタイプの津野村ではあったが、この3年間は社員と膝を交えて話し合う機会がなかったのも事実だ。さっそく、社員集会を開き、会社の方向性に対する理解を求めた。同時に社員からの訴えにも耳を傾けた。何度も何度も話し合った。労務士にも相談し、近代的な労務環境も整えた。
しかし、社員のモティベーションは労働環境とは別物だ。書店業界に特化した設計は、会社からみれば専門性と効率の向上になるものの、一流設計士志望の社員の夢を満たすものではないかに見えた。

対話の内容は、社員個々の人生設計にまで踏み込んだ。それは社員の夢、一流設計士になる、ということの意味である。設計士としての才能を磨き、国家資格を取るということと、ビジネスマンとして、そのセンスを磨くことを両立させる必要性を説いた。とりわけ、施主の要求水準が厳しい商業建築の分野で成長することの意義を説いた。
そうした努力の結果、やがて社員の中に理解者と協力者が増え始めることになる。ツノムラが目指す方向性を深いレベルで理解してくれ始めたのだ。「トコトンやりましょうよ、社長」と入社3年目の若手社員今村が言ってくれた。オピニオンリーダー格の彼の発言がきっかけとなって、事態は好転する。

それから数年が経過した現在、社員の定着は抜群に高くなり、入社希望者も後をたたない。その間に、津野村は社員との約束をすべて守った。独自の利益分配制度、一人一台マックパソコン、資格取得のための費用や時間を優遇する人事制度など、彼・彼女たちの人生を応援する仕組みが満ちあふれている。ハードに働く環境は変わらないものの、その意義が充分に伝わっているのだ。ハツラツとした聡明な社風は、こうした格闘のすえに築き上げたられたものである。

その後の成長戦略も的中し、ツノムラは強じんな会社になった。物語はここで終えるが、ツノムラ設計の歩みを総括してみよう。

1.市場を特化し、競争力を高める作戦をとった。
ツノムラでは、成長産業として書店の郊外大型店舗の設計という分野で日本一をめざした。

2.独自の見込客リストを作った。
書店経営者名簿を入手すれば済んだのかも知れないが、日本中に電話し、オリジナルのリストを完成させた。

3.見込客に対して、まず利益を提供した。
「ツノムラ通信」によって毎月配信される情報は、多くの書店経営者から受入られた。売り込みのためのDMではなく、情報紙としての価値を高めた結果である。現在のメールマーケティングのさきがけだ。ちなみにツノムラでは、今でもFAX配信にこだわっている。

4.設計士とは何かを再定義した。
建物の設計をすることは、業務の中心ではあるが施主にとっては一部のことに過ぎないと気付いていた。ツノムラの幹部は、「設計も出来るサービスマン」「設計士の資格をもった経営コンサルタント」であるかのように働いている。

5.人材こそ会社の財産であることを認識していた。
一見するとワンマン社長に見られるが、自らは問題を提起するだけである。問題解決は社員の知恵や創意工夫によって進められる。集団離職事件のおかげで、社員を大切にすることと、社員を鍛えることのバランスが取れた人事制度ができあがった。

最後に、上記1~5の理由すらあとづけのものであることを付け加える。それぞれの渦中にあっては、ドロナワのように問題解決に取り組み、編み出した知恵の集合体に他ならないのだ。「ウエルカムトラブル!」の精神こそツノムラの本領かも知れない。