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続 信・勤・念・定・慧

昨日は久しぶりに名古屋のホットヨガスタジオで汗を流した。身体の調子を確認しながら、呼吸とポーズに集中する。文字通り玉のような汗があふれ、90分のレッスンが終わると疲れと一緒に身体と心の悪いものまで溶け出て行くよう気分を味わえてきもちいい。

しかし昨日は良くなかった。
体調が良すぎて余裕があったのだろうか、雑念に集中している自分がいた。

「あっ、そういえば彼に頼んだあの仕事は一体どうなっているのだろう?もうずいぶん経つのになぁ。たしか8月、いや7月かな、頼んだのは。そういえば以前にも同じことがあったな。あれは何のときだっけ・・・・?、どっちにしても許せない、こんど懲らしめてやろう」

「念起こる これ病なり。継がざる これ薬なり」という禅の教えは、このような雑念や煩悩に心を占拠されてしまうような生き方に警告を与えているのだ。

ヨガの途中に仕事のことを思い出すことが「念起こる」ということだ。
本来なら呼吸とポーズに集中するべきなのだが、これも「病なり」。
しようがない。

しかし、「念を継ぐ」つまり、あれこれと考えることは良くないのだ。
今やっていること(この場合はヨガ)に集中することによって、念は継がれなくなる。それが最高の薬なのだ。

さて、禅の話が出たところで昨日号でご紹介したクローバ経営研究所の松村寧雄先生のメッセージの続きをご紹介したい。

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「生老病死」という人間の「苦」を突き破るためには、ブッダ自身が苦行6年の実践から開発した「五力坐禅システム」をあなたも実行してみる必要がある。

五力(ごりき)とは、

1.「信」(しん)
2.「勤」(ごん)
3.「念」(ねん)
4.「定」(じょう)
5.「慧」(え)
の五つである。

第4実践「定」:いよいよ坐禅実践である

「定」とは「坐禅」である。坐禅はただ坐っているだけなので、 “何もしない”と誤解を受けるかもしれない。しかし人の実践の中で、瞑想つまり坐禅ほど目標解決への”執行”実践はないのである。
なぜ「坐禅」を組む前に、「信」「勤」「念」と3つもの実践があるかを理解する必要がある。もしも「あいつを完全犯罪で殺そう」という前提で瞑想(坐禅)をしたら(これを坐禅とは言わないが、ありえることである)その瞑想は邪悪なものであり、結果は達成されるが惨めである。
しっかりした確かな目的を持たない坐禅は危険である。しかも人は正しい判断基準を誰からも提示されていない。常に真っ暗闇の洞窟の中を、手探りで判断基準を探し、決断しているに過ぎないのである。これゆえ悩みを解決する坐禅システムは、坐禅の前に「(1)信⇒(2)勤⇒(3)念」という道を照らす明かりを提示しているのである。

第5実践「慧」:悟りの世界に到達する

この明かりの中で坐禅を組めばその坐禅の威力により、あなたが現在悩んでいる問題などたちどころに解決する。
第5実践の「慧」、つまり悟りの世界に到達する。しかも偶然ではなく、論理的に、その問題は二度と起こらないという肉体が会得した智慧により解決してしまうのである。難問が出現したらこの五力坐禅システムを常に活用することである。あなたは常にブッダが菩提樹下で悟りを開いたあの境地に到達できるのである・・・。

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以上が松村先生のメッセージだ。

クローバ経営研究所 代表 松村寧雄先生
http://www.myhou.co.jp/about/matsumura_pro.php

私も日常生活の中で座禅を組むようにしているし、年に何度かは座禅合宿に行って自分を点検している。

何かを変えたい、何かがおかしい、と思ったときには、もう一度「信」
「勤」「念」「定」「慧」の基準で自らをふり返ってみよう。